天河神社は来る者こばまず・・・? | KANSAI SANPO

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■天河神社 その1

 

 

竹生島に行きましたが、既述のように島に渡っただけ。

 

弁財天さまにはご挨拶しておりません。

 

「弁財天さまにご縁のねぇ野郎だ」と思われるのも癪なので、

 

私と弁財天(市杵島姫命)さまのご縁は実は深いということについて、

 

少々自慢話も交えて思い出しながらいくつかの挿話を書こうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天河大辨財天社(天河神社)

 

奈良県吉野郡天川村坪内

 

天河神社公式HP

 

 

■御祭神

   市杵島姫命(いちきしまひめのみこと=弁財天)
            配祀 熊野坐大神 吉野坐大神 南朝四代天皇の御霊 他

 

 

厳島(宮島)竹生島とともに日本三大弁財天とも言われますが、

 

その「日本三大弁財天」には諸説あるようです。

 

天河大辨財天社、通称 天河神社。

 

この神社のことを知ったのは1991年。
 

私は精神世界、今で言うところの「スピリチュアル」に傾倒していた時期がありました。

 

当時むさぼり読んだ数々の本の中に、この神社が紹介されていたのです。

 

転勤で長崎に赴任していたため、この憧れの神社への初参拝は2~3年後だったと思います。

 

 

 

 

 

 

 

御祭神の市杵島姫命は宗像三女神の一柱で、仏教の「弁財天」と習合した神。

 

この神社は、かつては寺院としての性格が強かったようです。
 

90年代のはじめ、ここの般若心経が精神世界系の本で紹介されていました。
 

現在はどうなのかわかりませんが、
 

私自身、本殿前でご神職が般若心経を唱えていたのを見たことがあります。

 

開祖は役行者と言われ、大峯山開山の拠点と伝えられています。

 

空海もここで修行したと言われているそうです。

 

あの頃よく言われていたのは

天河神社は、「縁がなければ、たどり着けない場所」だとか

 

「来る者を選ぶ」

 

「来るべき時期が来ないと機会が訪れない」

 

「神さまに呼ばれた人だけが行くことが出来る場所」などといったフレーズ。

 

 

 

 

 

 

 

 


確かに天河神社に強く憧れながら、なかなか参拝する機会がありませんでした。

 

しかも初参拝のときの印象を全く覚えていません。

 

きっと期待していたような「感動」がなかったのだと思います。


どういう神さまが祀られているかも知らず、

 

手水の作法も参拝の作法もよく知らなかったせいもあって、
 

境内ではなんとなくアウェイ感を感じていたように記憶しています。

 


 

 

 

 

 

 

それでも「ここは 他の場所とは違うはずだ」と思い、

 

20世紀中だけで5~6回参拝したと思います。

 

90年代のはじめ、ヒーリングミュージックにも興味があって

 

天河神社との関わりが深かった宮下富実夫の曲もよく聴いていました。

 

 

 

 

 

私が本格的に神社巡りを始めたのは2004年の秋頃。

 

それ以降も天河には何度か参拝していますが、感じられたのはいつも軽い失望感ばかり。

 

境内でまるで夢遊病者のような若者たちをよく見かけました。

 

手水の作法も知らず、参拝方法もでたらめで、

 

目の焦点が定まらないまま歩いているような人たちでした。

 

かつては私もきっとそんな「夢遊病者」の一人だったのでしょうが。。。

 

そのせいか境内の気の乱れのようなものを感じました。

 

毎年100~300社の神社に参拝していた私は

 

他の神社とは違う、天河神社の境内の異様な「何か」に気づいたのかも知れません。

 

 

 

 

 

 

 

 

社務所に置かれていたパンフレットにも驚きました。

 

「アロマテラピー講座」とか「インド舞踊の奉納」等々…。

 

確かにこれは神道の懐の深さでもあるのでしょうが、

 

かと言ってもろ手を挙げて賛成する気分ではありませんでした。

 

これでは「来る者を選ぶ」どころか、

 

何でもありの「神社としては節操がないのでは?」とまで感じてしまいました。

 

それでもあちこちで「関西屈指のパワースポット」と紹介されていたので

 

私の偏見だったのかも知れません。

 

 

 

 

 

 

 

およそ神道とは無縁のグループも

 

きっと神さまも周辺の氏子さんたちも暖かく迎えていらっしゃったのでしょう。

 

天河神社でスピリチュアル系のワークショップを実施する場合、

 

朝の参拝や清掃奉仕への参加と、宮司による神道の講和等の対応もされていたようです。

 

 

ご縁が深いと思っていた天河神社ですが、最後に参拝したのは2015年。

 

8年もご無沙汰となってしまいました。

 

この記事の写真はその2015年参拝時のものです。

 

 

2015年。

 

数年ぶりに訪れた境内は、清々しく神聖さを感じました。

 

2011年秋、紀伊半島全域に甚大な被害をもたらした台風12号。
 

天川村も多くの家屋が浸水し、犠牲者もでました。

 

大雨は「ケガレを祓う」と言う人もいますが

それを「浄化」と呼ぶには痛ましい爪痕が今も残っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

きれいな石の川原が広がっていた「六角岩」付近は、

 

工事現場のような土砂に覆われ、流木などが転がっていました。

 

天川村の浸水被害は、土砂崩れによって川が堰き止められたことによる増水だったそうです。

 

しかしそのことによって、更に下流にあるダムの決壊などが免れたとも言われています。

 

被災された方々のことを思うと不謹慎な表現ではありますが

 

山の中に祀られる水の神は、

 

鎮座地でもって身を挺して被害を最小限に抑えてくださったのかも知れません。

 

天河の神さまは、どうやら荒っぽいところがあるようなので

 

かなりの荒療治だったと言えるかも知れません。

 

 

 

 

 

 

 


本殿の前の拝殿は、能舞台と共に覆い屋に覆われています。

 

気の通りが損なわれて窮屈そうな感じもします。
 

が、荒っぽいところのあるこの神さまには、これくらいがちょうどいいのかも知れません。

 

天河神社を訪れるたびに参拝記録等を書いてきましたが、

 

2015年まではどれも斜に構えた文章ばかりでした。

 

しかし2015年の場合は「心地よい参拝だった」と申し上げておきましょう。

 

憧れが大きかった分、以前は批判的な感情ばかり感じていました。
 

しかし考えてみればこの山奥の神社に、10回以上参拝しています。

 

私は本当はここが大好きなのかも知れません。

 

2015年に境内で感じた神聖さは、ここで何かが起きたのではなく

 

きっと私の方が変化していたせいなのでしょう。

 

 

「天河神社 その2」 ~天河神社の最も重要な場所について~  に、つづく。