正林寺と小松殿(平重盛) | おみほはんの たのしく合格!京都検定

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正林寺と法然上人さま、九条兼実のことは講座でお話しします。

が、小松殿のことを少し・・・・・。

 

正林寺の面する渋谷街道は渋谷越とも呼ばれ、東山を越えて
京と山科を結び、山科で東山道と合流する重要な街道でした。

平重盛は小松谷に屋敷を構え、その燈籠堂の址が正林寺です。

 

境内墓地に「阿弥陀経石」が祀られています。

平重盛は、来世の為に功徳を積み、後世を弔ってもらいたい考えます。

が、我が国では子孫が続いて先祖の後生を弔うことは難しい、宋の仏教の聖地、育王山(中国五山の1つ)との結縁を求めたいと願います。

砂金を宗の国の皇帝と育王山の僧へ贈り、自分の後世を弔ってほしいと伝えました。

その返礼として、1198年に阿弥陀経石が宗像大社へ届きます。

しかしこの時、すでに平重盛はこの世を去っており、平家一門も滅亡した後だったのです。
経石は宗像大社の近くに置かれた後、1662年に宗像大社に安置されました。

正林寺の経石は、宗像大社にある阿弥陀経石(重要文化財)を
江戸時代に有志の人々が模刻し、小松殿址にちなんで正林寺境内に建立したものです。

 

宗像大社の神宝館に展示されている原碑と同じ形状・大きさといわれています。

同じものが京都市百万遍に建つ知恩寺の境内にも祀られています。
百万遍智恩寺は法然上人を勧請開山第一世、源智上人が浄土専修念仏の道場としたところです。

源智上人が平師盛の子、平重盛の孫にあたるという縁によるとされています。

また、源智上人を出家得度させたのは、慈円さんだそうです。

九条家とのつながりも感じられますね。