インドネシア3日目の朝は首都、ジャカルタで迎えました。
ホテルの部屋から見た外の風景
大きなロータリーでした。
ジャカルタには信号機はあまり見当たりませんでした。
右折、左折、直進もロータリーを介しています。
朝早かったので名物の交通渋滞はまだでした。
道路を挟んで隣はケンピンスキーホテル
今年の6月のインドネシアご訪問の際に天皇皇后両陛下が宿泊されたホテルでした。
大東亜戦争の敗戦後に日本がインドネシアに支払った賠償金でスカルノ大統領時代の1962年(僕の生まれた年です)に建設された「ホテル・インドネシア」が前身です。
2009年にリニューアルされて「ホテル・インドネシア・ケンピンスキー」となっています。(ケンピンスキーグループの傘下に入ったのだと思います)
ちなみに天皇皇后両陛下がお泊まりになった部屋は412平米のプルデンシャル・スイート、との事。
今日は余裕のある日程を組みました。
観光に出かけるのは11:30です。
朝食もゆっくりです。
野菜中心にナシュゴレンや焼きそばも頂きました
流石にジャカルタのホテルには納豆や豆腐、味噌汁は置いてありませんでした。
インドネシアはコーヒーの本場、どこで飲んでも美味しかったです。
朝ビュッフェ、やはり食べ過ぎてしまいました。
朝食後はホテル近辺を散策しに出かけました。
ホテルの出入り口は厳重なセキュリティでした
ホテルに戻ってくる際は荷物検査もあります。
最近は少なくなったいるようですが、テロの危険が全く無い訳では無いようです。
トイレを借りたいから近くのホテルを利用する、などという感じではありません。
改めて日本の安全、平和を実感しました。
ホテルを一歩出た裏通りにはバラック屋根の通りがありました。
車が1台やっと通れるような場所です
観光客はまずいません。
地元民しかいないエリアです。
車よりもバイクが多かったです
問屋さんもあって、仕入れに来ている人も多かったです。
揚げパン?を提供している屋台
結構、売れていました。
東南アジアでは水に要注意、と散々言われています。
火が通っているものであれば大丈夫かな、とは思いましたがトライする勇気はありませんでした(若い頃ならば食べていたかも?)
積極的に歩きたい場所ではありません
超高層ビル群と貧民窟的な屋台、バラックの通りが同居しているのがジャカルタです。
まさに混沌としています。
裏通りを抜けて表通りに出ました。
ジャカルタで最もポピュラーなBluebird Taxi
5人乗りのミニワゴン車です。
トヨタ車です。
これ以外のタクシーは「白タク」なので乗らないように、とガイドブックに書いてありましたが、Bluebird Taxi以外は見かけたことがありませんでした。
ホテルの目の前は地下鉄の駅
専用のチケット(スイカのようなものだと思います)を持っていないと利用できないようでした。
バスも充実しているようです
何しろ交通渋滞が理由の1つで首都移転をする国ですので、公共交通機関は重要です。
バス停「プラザ・インドネシア」からは日曜日は無料の観光やショッピング向けの巡回バスが出ているそうです。
今回はジャカルタでの日曜日は無い日程でしたのでトライ出来ません。
バス停前の日陰でたむろしている若者
皆、GrabやGoJekの方です。
インドネシアでポピュラーなバイクタクシーです。
スマホで呼んでバイクの後席に跨って、二人乗りで目的地に行くやつです。
ヘルメットは貸してくれます。
これも一度トライしようと思ったのですが、今回は機会がありませんでした。
ホテルのロビーで現地のガイドさんと落ち合いました。
ジャカルタで頼んだガイドさんの車は汚くてポンコツでした
おまけに後席のシートベルトは故障?していました。
シートベルトの故障って、理解不能でした。
まず向かった先は「カリバタ英雄墓地」です。
またしても「墓参り」です。
カリバタ英雄墓地は南ジャカルタにあります
地下鉄の駅からも近いようでした。
パスポートを預ける必要があり、と何かの旅行記に書いてありましたが、ガイドさんがいたお陰か名前と来園理由の記入だけの手続きで済みました。
献花用の花屋さんは墓地内にありました
ここでは日本式の切り花も売っていましたが、花びらだけのインドネシア風を買いました。
何しろ広大です
墓地をガイドしてくれる専門の方がいるのですが、この方がいないと迷子になりそうなくらい広大な敷地でした。
旧日本兵のお墓に参拝しました
この旧日本兵だった方は1985年に亡くなっています
昨日、訪れたジョグジャカルタのクマネガラ英雄墓地は実際にインドネシア独立戦争で1950年の独立までの間に「戦死」した日本兵を祀ってありました。(インドネシアの兵士に関しては分かりませんが)
ここカリバタ英雄墓地は独立戦争で戦死した方々以外にも、独立戦争を生き抜いた方々がその後に亡くなってから埋葬されています。
ですから、インドネシアが独立した1950年には生きていた方々が多数を占める墓地でした。
インドネシア独立戦争を戦い抜いた旧日本兵には「ゲリラ勲章」がインドネシア国家から授与され、英雄墓地に埋葬される権利が与えられたそうです。(ただし、埋葬は義務ではなく個人の意思によるものとの事です)
日本名のままの方もいましたが、改宗してムスリム(イスラム教徒)になっている方も多くいました。
埋葬場所はイスラム教、キリスト教、ヒンズー教、仏教というように分かれているみたいです。
カリバタ英雄墓地に関しては何の宗教でも「英雄」なのですね。
カリバタ英雄墓地の入り口からの全景
何しろ広いです。
靖国神社の比ではありません。
約11,000人の方が眠っています。
慰霊塔だと思います
霊鳥ガルーダが守っています。
天皇皇后両陛下も6月にここを参拝しています(宮内庁のサイトより引用)
赤絨毯です。
左上から時計まわりに陸軍、空軍、海軍でした
貴賓席
天皇陛下もここに着席されていたのでしょうか?
2023年6月の天皇陛下の他にも安倍晋三元首相は2007年2015年の2回、小泉純一郎元首相は2002年、菅元首相は2020年にジャカルタを訪れた際にカリバタ英雄墓地に献花参拝しています。
インドネシアにはこのような英雄墓地が今回僕が訪れた2ヶ所の他にマルガ英雄墓地(バリ島)、ボゴール英雄墓地(ボゴール)、テビチンギ英雄墓地(中部ジャワ)、チレボン英雄墓地(中部ジャワ)、タシクマラヤ英雄墓地(西ジャワ州)、スラバヤ英雄墓地(スラバヤ)、PEMATANG SIANTAR英雄墓地(スマトラ)、マラン英雄墓地(スマトラ)などインドネシア全国に何ヶ所もあります。
インドネシアが植民地から解放されて独立国家となり、戦時賠償は発生したけれども比較的親日国であるのはこのような方々(旧日本兵)のお陰だと再認識しましました。
しかし、ニューギニアやスマトラ、ジャワなどのジャングルや山中で戦死したけれども行方知れずの旧日本兵もまだまだ多いそうです。
当時の戦友などが中心になって「福祉友の会」を結成して、遺骨回収活動などをしているようですが、中々はかどらないようです。(Wikipediaを参照させてもらいました)
次に行ったのは「スラバヤ通り」です
ユーミンの曲にある「スラバヤ通りの妹へ」のスラバヤ通りです。
ユーミンが実際にここを訪れて作詞作曲しています。
この曲の入っているミニアルバム「水の中のアジア」がリリースされたのが1981年、昭和56年です。
実際の「スラバヤ」はインドネシア第2の都市で、ジャカルタから東へ約800kmの場所です。
JL.とは「通り」のことです
JL. とは「jalan」日本語では「じゃらん」、そうです「じゃらん」という旅行雑誌の名前はインドネシア語が語源でした。
「じゃらん」の前身は「エイビーロード」の国内版、これを知っている人は絶対に昭和ですね。
スラバヤ通りは昔からの骨董品街です
スラバヤから移住してきた方が多かったのでしょうか?
どこのお店も閑散としていました。
時間は13:30頃、昼休みの時間だったかも?
このお店は店主さえ居ませんでした
買い手がいるの?
普通の骨董品を置いてあるお店もありましたが「ガラクタ」しか置いていないお店もあります。
アジアの旅行者っぽいですよね
偶然にも背景はぼやけていい感じです。
これまた「誰が買うの?」的な品揃えでした
古本屋も味がありますね
インドネシアで一番人気らしいのトヨタのアルファード
海外からの輸入車には200%の関税がかかってしまうので、国内価格は1,200~1,300万円もしてしまうそうです。
幹線道路は絶対に路駐など許されない雰囲気ですが、スラバヤ通りは全然大丈夫でした。
スラバヤ通りにはホテルもありました
ベッド&ブレックファストだけの簡易なホテルですが、バックパッカーには十分ですね。
ホンダ車もよく見かけました
トヨタのランドクルーザーも大人気だそう
サティなどを食べさせるレストランもありました
もちろん、スラバヤ通りでの買い物はありません。
スラバヤ通りの後はコタ地区観光をガイドさんに勧められました。
オランダ植民地時代の中心地がコタ地区のようです。
コタ地区に行く途中ではゴミだらけの場所がありました。
普通の通りを1本隔てると、このような場所があるのもジャカルタらしいです。
ゴミ置き場で暮らしている?
ゴミ処分?1人では捗りません
白とレンガ色の街並みが現れました。
見えるのは運河です。
オランダ植民地時代の街並みが残っているエリアです。
クルクット川というそうです
「ここは逗子マリーナ」と言われても違和感ありませんね。
由緒ありそうな建築物が並んでいます
ガイドさんはスルーしていました。
とてもキレイな街並みです
いかにも「観光地」という景色です。
川の両側をカリブサール通りと言うそうです。
右手にはホテルもありました
カリブサール通りを折れて、昔の官庁街であったファタヒラ広場に向かいます。
何やら素敵な看板が目に止まりました。
カフェバタビア、有名らしいです
「バタビア」とはオランダ植民地時代のジャカルタの呼び名です。
何と日本軍がオランダ軍を駆逐して統治する1942年までの323年間はジャカルタではなくバタビアでした。
19世紀に建造された古い建物だそうです
元々はオランダの東インド会社が使っていた建物だったようです。
カフェバタビアのテラスでは取材と撮影が行われていました
コーヒー1杯が一千円くらいするそうで、ジャカルタの中では超高級店だそうです。
時間が無かったので店内には入りませんでした。
後ろに見えるのが歴史博物館
後から知ったのですが、地下に牢獄があるそうです。
ガイドさんは何も教えてくれませんでした。
元々は裁判所や刑務所も兼ねた市庁舎だったところを現在は歴史博物館として公開しています。
今回頼んだインドネシア現地のガイドさんは日本人の感覚からすると観光知識、歴史知識、ホスピタリティに欠けていると感じます。
カフェ・バタビアや歴史博物館などの前の石畳の場所がファタヒラ広場です。
昔からの郵便局
オランダ植民地時代の1929年に郵便局として建築されて、今も現役で使われています。
手前に茶色の郵便ポストが見えますね。
絵画陶磁器博物館(外観だけ見ました)
コタ駅
現役のターミナル駅でした。
コタ駅の構内
高いドーム上の天井のおかげで開放感抜群でした。
最近はこのタイプの改札機は見かけませんよね
シンプルで逆に新鮮に感じます。
電車の路線図と料金表
一番遠い駅まででも9000ルピア、約90円と格安です。
公共交通機関の料金は安いのに、新しく開通したジャカルタ新幹線(中国製)は約4500円もの料金だそうです。
所用時間も在来線と30分くらいの差しかないそうで、乗客が少ないのも納得です。
コタ駅構内にはこのような自販機もありました
サプリメントやビタミン剤のようです。
コタ駅を見学して、コタ地区を後にしてホテルに帰ります。
ホテルへの帰路には
昨年開催されたASEANのパネルがまだ残っていました
主催国だったのですね。
日本大使館も比較的近かったです
いざとなればここに助けを求めます。
ホテルに戻って、先ずはお茶しました。
サンドウィッチとケーキ、カフェラテで一息つきました
一息、と言うには大量です。
クラブルームだったので全て部屋代に含まれています。
ここでも食い意地が張ってしまいました。
お茶した後はホテルの向かい側にある巨大ショッピングモールに行ってみました。
グランド・インドネシアです。
レストラン、スマホショップ、ドローンショップ、アパレル、美容クリニック、美容院、ネイルサロン、何でも入っていました。
中国人民解放軍と繋がりのあるHUAWEI
東南アジアでは存在感あるみたいです。
アメリカでは一部で使用禁止措置の対象になっているブランドです。
これも中国のoppo
日本でもスマホショップで見かけます。
韓国の雄、SAMSUNG
中国ブランドよりも高級感ある店舗でした。
日本のSONYも頑張っています
あくまでも僕の印象ですが、日本ブランドの凋落(=韓国、中国ブランドの躍進)を感じました。
ケーキのシャトレーゼ
日本直輸入、とアピールしている商品もあります。
丸亀製麺はすでに世界ブランドですね
もちろんハラル食です
大戸屋もありました
ハラル食をアピール
「みりん」もお酒が含まれているので使用できません。
スマホなどの先端機器分野と違ってレストラン分野では日本ブランドの圧勝です。
今度はホテルと直結のスーパーマーケットにも行ってみました
シャインマスカットが1パック約650円
日本の感覚からすると安すぎ。
本物でしょうか?
何と「NON HALAL」のコーナーを見つけました
ムスリムでない人のための配慮です。
でもとても僅かなスペースでした。
ホテルで夕ご飯です。
運良く?クラブラウンジが改装中との事でした。
そのお陰で通常のホテルのカフェテリアで「メニューにあるものならば何を頼んでも大丈夫」と言うことになっていました。
ラッキー、の一言です。
先ずはスパークリングで乾杯
自分で飲み物や食事を取りに行く必要はありません。
ゆったりソファに座って、生バンドのステージを聴きながらの食事です。
餃子、春巻き、サンドウィッチ、サティ、カリフォルニアロール、ビーフパイ、ほとんど全種類を注文
これだけ頼んでも追加料金は無し。
この後ワインを白と赤、1杯ずつ飲みました。
デザートも美味しかったです
食後のカフェラテにもプチフルが付いています
超満腹になって部屋に戻りました。
ロータリーの夜景もキレイでした
明日からは特にスケジュールは立てていません。
現地のガイドさんもお願いしていません。