4月16日 魅力満載の京フィル定期!リレーコメントno.5 ー打楽器奏者 會田瑞樹 | 京都フィルハーモニー室内合奏団のブログ

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1972年に結成。2022年で創立50周年を迎える。
一人一人がソリストの個性派揃いのプロの合奏団。

 凄いチラシだ。僕にとってのアイドルが並んでいるのだから。

 打楽器音楽の登場は20世紀を待ってから始まり、現代の音楽とはいつも密接な関係を持つ。まだまだ作品の数そのものが少なく、よりたくさんの作品が出現する事でもっともっと豊かな音楽表現をしたい、ゆくゆくはヴァイオリンやピアノのように奏者の個性で作品を「選択」する時代を夢見て、僕はこれまで多くの作曲家への委嘱を展開してきた。此の度の演奏会は僕にとっても夢のような企画で、作品の個々の魅力や同時代に生きる作曲家の息づかいまでもがこの演奏会を通して肉薄するのではないかと今から胸が熱くなる。

 

 以前、中原中也と小林秀雄の邂逅を虚実ないまぜで描いた漫画「最果てにサーカス(作:月子)」という作品を読んだ。中也の恐ろしいまでの才能に絶望する小林秀雄の姿が描かれている場面にこそ、末吉保雄作曲《中原中也の三つの詩》が最も相応しいと思う。中也の歌曲は多くの作曲家が取り組んでいるが、末吉作品は従来の中也歌曲とは一線を画した上品さと気高さ、或いは「見世物小屋の復権」を思わせる同時代の空気の刻印がある。

 『「幾時代かがありまして」「汚れつちまつた悲しみに」「今夜み空はまつくらで」「真綿のやうでありました」こんな中也の音調が、いつの頃からか僕のなかに住みついて、それはもう、かれこれ15年も前からのことで、それを、折にふれては僕はじぶん勝手なふしをつけて歌ってきたのでした。あるときは、それをひとつの形にきめてしまおうと思ったりもしましたが、それが、その後の気侭なじぶんの即興を禁じてしまいかねないおそろしさに手をつけかねてもいたのです。(中略)今年に入って、かつてのそんな僕の気侭な歌から《北の海》《月夜の浜辺》は、やさしい混声合唱曲に、そして《サーカス》《一つのメルヘン》《春と赤ン坊》は瀬山詠子さんのために、今夕の《三つの詩》となって僕から離れていきました。もはや、これらを勝手に歌い変えることはなく、それは一沫の安堵と寂しさを残していきましたが、同時に、僕はいっそのこと、このさい僕のなかに巣喰っている他の歌どももたたきだしてしまいたい衝動を覚えて、すこし面喰らってもいます。(後略)』(末吉保雄/昭和46年6月15日、第七回瀬山詠子独唱会プログラムより転載)

 5拍子の感覚で「ゆ/やーん/ゆ/よーん/ゆ/や/ゆ/よーん」を「1+3+1+3+1+1+1+4」で分割していく独特の節回し。幼少期、なにか怖いものを見てしまって、忘れよう忘れようとしてもなぜかその時の場面を何度も思い返して恍惚とした気持ちにかられるような音楽なのだ。フルート、コントラバス、打楽器、チェンバロという妖艶な組み合わせが中也の歌詞の内奥にある空虚さと日常から通ずる異界への扉の場所を教えてくれる。

 

 松村禎三は京都に生まれたが、故郷への永遠の因縁を断ち切る事が出来なかった人でもある。

 『(中略)京都の文化は何やら屈折して生くさく、しかもこの土地は未だにあまりにも先住の霊がこもり過ぎている。その瘴気を吸いながら若い命はどこへ向かって明日を生きていけばよいのだろうか、という思いに沈んだ。(後略)』(松村禎三「古都を歩く」1969年6月28日より転載)

 《クリプトガム》は氏が29歳のときの作品。常に音が轟々としていて、「混沌未分」という言葉で説明する事も出来るだろう。しかしここには後に松村禎三が生み出す事になる《交響曲》への萌芽が随所に散りばめられ、自らの創作に常に真直ぐでありつづけた松村氏の音楽の源流を感じる事が出来る。若く、青い血がここには常に歌われ流れ出ているのだ。

 『例えば「ド」の次に「レ」がくるか「ミ」がくるかということより、私には銅鑼と低い金管楽器がどのように融和するかといったことの方がよほど先の関心の対象になる。高さと長さを寸断して高等な数学様のものを編み出すより、私はまず動物のようにある種の響きに涎を流す。万物の霊長として恥ずかしくとも、私は私自身に正直であるより仕方あるまい。涎が出るのだから。』(松村禎三《クリプトガム》解説1958年11月10日より転載)

 

 木下正道さんとは独奏曲、室内楽作品と何度も氏の作品を通してその音楽の魅力に触れている。とある日、木下さんと音楽について語り合った事がある。

 「作曲は独り。ただそこから繋がっていく人間に会いにいっている事が原動力。」と語る木下氏。人懐っこい笑顔で語られるのが印象的だ。

 「なんでも分かり易くしようとするのは良い事じゃない。なんだろう、と思わせるものがほしい。野心的な、脳を裸足で駆け回るような。表現と言うのは、いかがわしい、恐ろしい、毒…近づいてはいけない部分ってほしいと思うんだ。」語り口が熱を帯び、ビールが進む。

 「どうやったら無駄な音を入れるか。分かるような分からないような、そういう音を入れる。αからωまでぜんぶわかるような曲はそれで終わる。そういうのはMIDIデータみたいなものでただ単にスイッチを押すだけ。演奏家を鼓舞するにはいろんな方法があると思う。曲で勝負する時に、そう言う仕掛けを施す。いろんな方法があるけれど、それは無駄を省ければ良いと言うものではない。もちろん無駄ばっかりでは作曲は成り立たないけど、意味と無意味を縫い合わせていくような感じで、そのためにはどういうものに意味があって何が無意味かを把握している必要がある。演奏家に対して、抵抗というか、リアクションというか。時間の流れが歪になる、少しずつ歪んでいく時間感覚を作りたいんだよね。」

 木下さんの語り口は木下さんの音楽そのものだ。どんな豊穣な音世界が広がるのだろう。そして僕は思うのだけれど、どの作品にも強い「叫び」があることに気がつく。4月の京都にどんな叫びが響き渡るか、今僕の胸は大いに高鳴っている。(會田瑞樹/打楽器奏者)


(末吉保雄と瀬山詠子)

参考文献

「松村禎三 作曲家の言葉」(アプサラス編・春秋社刊)

「日本歌曲全集21 末吉保雄/浦田健次郎作品集」

(ビクター音楽産業株式会社、SJX-1052)