4月16日 魅力満載の京フィル定期! リレーコメント no.6 山本和智  | 京都フィルハーモニー室内合奏団のブログ

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1972年に結成。2022年で創立50周年を迎える。
一人一人がソリストの個性派揃いのプロの合奏団。

 今回、新作を書きました作曲家の山本和智と申します。

 2015年の第200回定期公演より京都フィルさんにはご贔屓にあずかり、また毎年京都を訪れる機会を与えていただき大変感謝しております。

 第200回定期公演では、6面の箏のうちの3面に糸電話をくくり付け、ホールの壁面と繋げるという大掛かりな装置を組み上げ、まあ賛否はあったものの概ね成功を収めました(※個人の感想です)が、そうしたことから今作も種々、期待されての起用かと思うといやはやプレッシャーを感じております。また、この度のチラシをご覧になられた方はお分かりのように、実に傲岸不遜な面構えの私がチラシの半分を占めていて、そこからも京フィルさんの大きな期待を感じ(※個人の感想です)、もうこれは色んな意味でタダでは京都から帰られないのではないかと、ここのところ戦々恐々と過ごしているのです。この写真のイメージも相まって随分、傲慢に映ったかも知れませんが実は小鳩のような平和な心の持ち主なのです。

 さて、このように細々と書けば書くほど何だか嘘っぽく、或いは狡猾にも感じられるというのは一体なぜなのでしょう?それはひとえに私の文才の無さによるところが大きいのは事実ですが、いや、文才がないが故に「言葉」はいつも自分の身の丈と微妙にずれているように感じてなりません。喩えるなら「絵文字」ですとか今日なら「LINEスタンプ」のように最大公約数的な感情表現があらかじめ用意されてはいても、真に「ある感情」を伝えたい時のスタンプはそのいずれでもなく、渋々用意された紋切り型の中から選んで送るというような、そんな苛立ちと裏切りと白々しさのようなものを私は「言葉」にも感じます。だから私はどこかで「本意を書いて伝える」ということに絶望していながら、しかしそのことをこうして「言葉」で記すということでしか伝える術を知りません。そして他者の「言葉」もまたこうして発せられるのだろうから虚しいことを知りつつ、『忖度』ということをしなければならない。何とも「言葉」は難しい…。

 そうした理由もあって、私は「歌曲」を書くことが苦手です。また良い詩になればなるほど曲を付加することが却って冒瀆にも感じられるのです。「美しい野生の花は切って花瓶に生けず、そのままにしておけ」というのが私の考えです。もちろん、その野生の花をうまくアレンジメントできる人がいるということも知ってはいますが。

 今回初演の拙作には女声が登場しますが、いわゆる「言葉」を発しません。そしてライブエレクトロニクスを用いてその声を変調・拡張していきます。「言葉にならぬ声」がエレクトロニクスの翼を得て、それは時に「言葉」よりも雄弁に響くことを夢見て作曲しました。

 さてこれより先、もっと説明してもよいのですがそれは当日のプログラムに記していますから是非ともお越し頂いて、そしてこの作品を聴いて下さい。

 文才がない割に長々と失礼しました。では皆様、会場でお会いしましょう!

 

山本和智