海外アーティストの皆さん | 怒涛の3ヶ月~2年目

怒涛の3ヶ月~2年目

旦那のアルコール依存症→精神科外来→離脱せん妄→借金地獄→断酒→スリップ→精神科入院→現在



その日は某、海外のハードロックバンドの現場で『新宿厚生年金会館』で仕事をしていた。
(某もクソもない、誰だったのか忘れた)


海外アーティストの現場は本当に気が楽だった。
その日も平和にいつもの業務に勤しんでいたのだが。

午後になり、

 通訳をしていた女性に声を掛けられる。

『ちょっと〇〇~!悪いけど今からメンバーをスーパーに連れて行ってくれる?』

『え?私がですか?スーパーに??』

『そう、写ルンですが欲しいんだって!』

ハッキリ言って『嫌』だったが、嫌と断れる訳もなく

『…分かりました』


身長180cm以上はあるだろう、長髪、サングラス姿の外国人の大男4、5人を引率し、私は近所のスーパーへと行く羽目になったのである。

(何なんだこのシチュエーションは!?)


幸いすぐホールの近くにスーパーがあったので非常に助かった。

しかし、周りの人々にまあ、

見られる見られる!!

(早く帰りたい……)

『写ルンです』も幸いレジのすぐ近くで発見し、
私は彼らに

『This  OK!?』←英語が話せないやつ

『OKOK!』

一人に一つずつ『写ルンです』を購入し、買い物は秒で済んだ。
て言うか
(本当に写ルンですだけで良いんだ)
と内心呆れたが、スーパーに長居されたらどうしようかと恐れていたがそのような事もなく安堵した。


このような事はまだ大したことでは無い。


とにかく色々な人がいた、


開演前に兄弟喧嘩を盛大におっぱじめ(確かイギリスか何かの兄弟で組んでいたバンド)、

開演中に楽屋を片付けようとして入れば、シャワー室にナッツの盛り合わせの大皿が皿ごとぶちまけられており、
椅子は全て引き倒され、とにかくしっちゃかめっちゃかな状態の楽屋を私一人で片付けたり。


作業中に海外スタッフの一人にスカートの中を写真に納められ、これは今でなら完全にセクハラに該当し、世界的問題にまで発展した事だろうお茶


アフリカのアーティストで英語を全く話せず(人の事言えない)、全てフランス語な為に、

お互いが
『え?』とか、
『あ?』とか
『お?』とか言いながら身振り手振りで会話(になってない)したり。

中々に面白い苦労は沢山あった。


海外の人は水道水を飲む習慣は無く、飲水は全てミネラルウォーターだったが、当時の日本ではミネラルウォーターはまだまだマイナーだった。

アメリカのとあるロックバンドの方々。
サ〇〇〇オブパ〇〇(一応伏せておく)

途中でミネラルウォーターが全て無くなってしまった事がある。

近所にスーパーはおろかコンビニ等はなく、私は黙ってミネラルウォーターのボトルに水道水を入れて渡した事があったがバレずに済んだ。(すまないんだ)


色々と苦労は尽きなかったが、それでもやっぱり海外アーティストは本当に楽なのである。


とにかく気を使わなくて済む。
東京での公演が数日あっても、顔を合わせるのはその数回だけ。
ほぼ一期一会なので顔を覚えられる事も無い。


連日日本人アーティストの公演の為に、気を使いまくり毎日が緊張の連続の中で、
時々海外アーティストの仕事がある時は全身の力を抜いて仕事をしていたものだ。
息抜きとでも言った所だろうか。


拘束時間も長く、ギャラも半端なく安かったがそれでもその、非日常的な毎日が楽しかった思い出になっており、


時折、

あーあ、またあの時代に戻りたいよ…

等と思わなくもない。