戦後の歴代首相が主催してきた 公的行事である 「桜を見る会」において、
現首相が 自らの都合を過度に貪っていた件について、
ある野党政治家が、
――― 桜は、パッと散るから美しい ―――
と、その心情を吐露していた。
一見、「桜を見る会」 にかこつけて エスプリの効いた言葉を述べたかのようだ。
しかし、ふと ” 待てよ。これは ちょっと・・・ ” と思うことがあった。
この政治家は、戦後も戦後、1980年代のバブルの時に生まれた若者なので、
あの大東亜戦争を経験した人たちの話を 親しく聞く機会は 少なかったのだろう。
あの戦争では、軍人の命を「 咲いた桜が たちまち散る はかない美しさ 」に譬えることが流行った。
しかし、あの戦争で たまたま生き残った人たち、
特に 戦争末期、特攻隊に入ったが 種々の事情で生き残った人たちが *、
この譬えに いかに苦しめられたか ということに、戦後生まれの我々は なかなか思い至らない。
* 彼らは、「散らなかったこと」 つまり 生き残ったことに 後ろめたさを感じて、
戦後を生きてきたのである。彼らに「桜は、パッと散るから美しい」などと言えるだろうか?!
敗戦後の社会を生きた人たちは、戦中 一億総玉砕を唱えていたわけだから、皆 「生き残った」人、
「散らなかった」人である。戦後の良心は 多かれ少なかれ「後ろめたさ」を感じて生きたのである。
また、「戦後生まれ」の人たちの父母は この「生き残った」者であったのであろう。
だが、一方 当時の政策中枢にいた者たち (天皇周辺はじめ、岸伸介など) が 己が保身を図って、降伏を
遅延させたことで、いかに多くの軍人のみならず一般人、そして 日本人のみならず他国の人々が
犠牲になったことか!
特攻隊の生き残りは、例えば 特攻機で飛び立ったが、整備不良で 内地の山中に墜落、
同乗の仲間は死んだが自分だけは生き残った・・・。 彼は、戦後 何十年経っても 夜 寝汗で
全身 びっしょりになるのであった。
日本人にとって、
桜は、江戸時代までは その木の下で華やぎ遊ぶ「花見」だったが、
明治維新以後、特に 大東亜戦争を経験した世代にとっては、
死後の「花見」、そして 怨念の「花見」となったのである。
靖国神社に特別な思いがあると公言する 安倍晋三首相 に言うべきなのは、
多くの軍人や一般人が 桜に 特別な思いを抱いて亡くなったのだが、
そうした桜を見る 首相の姿勢には、たいへん不謹慎な ところがあったのでないか?!
かの 「桜を見る会」のありようは、
あなたが 崇拝する明治国家体制のために犠牲になった膨大な数の人たちを考えれば、
国家の最高責任者の催す会とは、到底 思われない。
―――と言うべきであろう。
これは、彼の歴史観からすると、過去を愚弄しきった許されない所業なのである。
我々は 戦後民主主義体制のなかで生まれ、そして生きている。
これは、大東亜戦争に敗戦した結果なのであって、
この 膨大な数の悲劇ぬきに、今があるのではない。
首都圏上空に 制空権がないのも、桜にわが命を感じた者らがあったからである。
若い世代の政治家たちは、こういうわが国の歴史、
つまり、祖先たちの為した事ども、および その悲しみ・苦悩をしっかり踏まえて
この国の政治を語り、その政治活動をしなくてはならない。
現在は 過去の突端であり、過去は 自分と切っても切り離せないことを肝に銘じなくてはならない。
ただし、戦後生まれの私は、
桜に対して 「 桜は、パッと散るから美しい 」 とは 全く思わない。
桜は桜で 霞のような感じが 美しいのであって、
春の移ろいの速やかさに 心残りを感じはするが、速やかさ(はかなさ)を美しいとは思わない。
合掌