2022.6.18。
そろそろ何処か、山を登ろうと思っていた。
が、ピントが確りと合う山が見つからない。そんな時は「十勝岳」。
明日、6月19日が山開きとのことだ。
登山道はもうスッカリと雪は解け夏道が続いているはず。
ハッキリとしない天気。
もしかすると午後からは雷雨に遭うことなるかも知れない。
そんなこともあって6時前には登山口をスタートした。
ゆっくりとしたペースで歩を進めた。
もう下山者と擦れ違う。「早いですね」「雨の予報だ出ているので途中
で戻ってきました」
雨に、更に雷には打たれたくない。空はを見ればまだ大丈夫そうである。
登山道は整備されていた。
避難小屋では雲が上から押し寄せてくる感じだ。
それでも時より、視界が開ける。
擂鉢火口からは美瑛岳が綺麗に姿を見せた。
62-Ⅱ火口からは噴煙が噴き上がる。
このころは視界が開けていた。十勝岳の姿も確実に捉えられた。
風は強く。アウターを着込んだ。
噴煙が現れたり消えたり。
登山者グループが降りてくる。
随分と早いスタートだったようだ。
頂上。
標識は新しく誂えられていた。
誰もいない頂上。
視界の利かない頂上。
5分程頂上にいると単独男性が上がってきた。
美瑛岳まで足を伸ばすそうだ。「気を付けてね」と声を掛けて下山開始。
下山ではかなりの人と擦れ違った。
年若い登山者が目立ったような気がする。良いことだ。
振り返ると十勝岳頂上は噴煙の中。
予定通りの時間で今日の山を終えた。
感動に出会うことは無かった。「体力を落とさない」ための山歩き
だったかも知れない。
日常性は流れる。もうそんなに新しい感動に出会うことは無いだろう、
と思う。新しい「奇跡」にでも出会ったとしても「奇跡にも上限がある」
ことを知らねばならない齢だ。即ちこの世に生まれたこと自体が奇跡
であり、それ以上の奇跡は持ちえないのだろう、と思う。この奇跡の
命を繋ぐだけだ。
ただ、日常として「十勝岳」を登れたことに感謝はしなければなら
ない。そしてまた「山に向かう」ことを課すかのように生きるのだ。