独り言ちの山暦

独り言ちの山暦

「風の又三郎、又三郎、早く此さ飛んで来!」「この頂で赤道から北極までの大循環の自慢話を聴かせてくれ。」

 

   2022.8.11。

   急登を終え尾根に出た。

   5歳児が言った。

   「風が気持ちいいね」。 その言葉に感動した。

   言葉の美しさと、その思いを素直に表現する言葉に。本来、言葉とはこのように心

   に響くものなんだ、と心が熱くなった。

   その言葉に会えただけで、この山歩きが豊かなものとなった。

    夏休み。コロナが気になるところではあるが孫が帰省してきた。

    そうなるとやれることは「山」を経験して貰うしか思いつかない。

    天候は不順。この日を待っていた。

    テンクラも「A」。近場の三段山を選んだ。

    あれこれと昨夜は心配した。

    途中での撤退もありかな。だが、なんとしても頂上を踏ましてやりたい、と決意した。

     なかなかやるではないか。

     案ずるよりはである。小学2年の長男は5歳児を気遣いながらスタスタと登る。

     急登を登り終えた。

     頂上が見えた。そこには人影を捉えることができる。

     最早、小学2年生には適わない。

     汗一つかくことなく跳ねるように先へ先へと進む。

    兄に負けまいと次男も頑張る。

    ユックリと行きなさい、と抑えるのに忙しい。やはり兄弟でも負けるのは口惜しい

    らしい。

    「ここは火山の噴火で吹っ飛んでしまったの」。

    「その時、みんな死んでしまったの」。「どうして〇〇は生き延びたの」。

    次々の問に、人の尊厳、命の重さをこの地で感じてくれたらと応えたものだ。

      世代は交代していく。

      もうすぐ孫には登山でも適わなくなるだろう。

      子の成長は加速度的だ、そして私は劣い意識していく。

     孫たちには山が好きであって欲しい。

     そして登山を趣味の一つに加えくれたら嬉しい。

     いつの日まで一緒に山を歩けるは分からないが、流す汗に喜びを共有したい。

     だが、と思う。自責の念を込めてではあるが。

     所謂、「百名山」登山は目指して欲しくない。

    ドン・キホーテが現実と物語の区別がつかなくなったと同じように「〇〇名山」

    目的が違う目的を持ってしまうからだ。

     ドン・キホーテが風車を巨人だと思い込み、好き進むんだような登山スタイルに

     なってしまうのだろ。そうして風車と気づくであろうか。大概は気づきはしない。

    いまでも耳の奥に残っている。

    Syun1さんが「俺は百名山とか記念登山には全く興味がないのさ」

    「好きな山、沢を自分なりに堪能しただけなのさ」

    いま彼の登山スタイルに同意する。

    人のために登るわけではない。

    ましてやプロではないのだから人の評価を目的に登るわけではない。

    登山一つにしても「自分」を失わない、「揺るぎない信念」を持ってくれたらと

    切望する。

     それにしても山は混んでいた。

     今日は「山の日」の祝日だった。そんなことも知らないで山に向かったら駐車場

     は超満杯。かなり下まで路上駐車の列だった。

     4月22日はアースディ。

     海の日、山の日も良いのかも知れないが、せめて「地球の日」を祝日には

     できないのだろうか。

     その日、孫と地球のためにボランティア活動ができたら幸せだ。

     愛しい孫たちは成長し続ける。その彼たちのために出来ることが一緒に海へ

     山へだけでは寂しすぎる。

     もっと彼らのためにやれることがあるはずだ、と下山のあと温泉に浸かりなが

     ら顔を湯に沈めた。