【起こりを消す】
武術、武道においては、相手に自分の攻撃が察知されないよう、出来る限り予備動作を無くすよう稽古する。
ほんの僅かな動きであっても、相手は気配を読み、防御または反撃する。
なので、空手の基本などでも膝や肩でリズムをとったり、引き手が下がってから打ったりすることを、戒めている。
移動稽古、型稽古などでも、足指が開いてから移動したり、頭が上下したり、左右に蛇行したりすることを、よく注意する。
無駄な動き無く、最短距離で、最速で技を出すことが理想。。
それが相手に当たるか当たらないかは、相手の問題であるから、こちらはこちらのベストを尽くして技を出すのみ。
受けられたら、また次の手、その次の手を考えれば良い。
話を戻すと、、
まず動作としての起こりを無くして動くことが大事であるが、、
実はその前に、やることがある。
それが精神的な部分での、『意を消す』ということ。
つまり、
この技を当ててやろう❗️
とか、
こう受けてこう返そう❗️
などの意識や思いの部分。。
まず第一に、これを消す。
つまり、相手を打とうとか、蹴ろうとか、投げようと、極めようとか、思わないこと。
これが非常に大切。
だからまず、思いを消し、次に動作の起こりを消す、という順番。。
(超一流レベルの達人になると、相手が思っただけで察知し、回避するという)
したがって、何も思わないまま技を出し、動く。
とある空手の先生によれば、
『ありがとうございます♪』
と思いながら技を出すと良い、と言われるが、それも良いと思う。
大成拳では、動物や精霊に成り切ったり、自然と一体化したり、様々なイメージを用いて、これを行う。
『人』である以上、思いを無くしたり、止めることは出来ないが、『人』を超越することで、この壁を乗り越える。
いずれにせよ、意を消すこと。
ちなみに大成拳の站椿は、すでに各関節が整い、あらゆる準備が出来ている状態。。
溜めなくても、すでに溜めがあるので、予備動作は要らない。
特に渾元椿は、そこからいかようにも動ける。
動作の準備や溜めがすでに出来ている状態と、一つ一つ準備の段階からスタートしなければならないのとでは、雲泥の差がある。
各自、しっかり取り組まれることを望む。
(了)。