群の拳術日記

群の拳術日記

拳の道に終わりなし!!

空手、柔道、キック、レスリング、、


など、ベースとなる武術や格闘技を何も習得しないまま、、


こう来たらこうする、、

ああ来たらああする、、


例えば、


手首や胸ぐらを掴まれたら、、

いきなり殴りかかられたら、、


など、約束事だけの練習で、果たして強くなるのだろうか❓


と、いつも思う。


何年も基本や基礎を繰り返し、ようやくベースとなる強さが身に付き、それぞれの技に威力が乗る。


その労力をすっ飛ばして、ただ技法だけを学ぶ、、


それでいきなり実戦で使えるのだろうか❓


そしてもう一つ、一番大事なこと、、


それは、自由攻防(自由組手)のある無し。


どんな武術や格闘技でも良いが、、


決められたルールの中で、自由攻防を行うことで、体力が付き、根性が付く。


相手と実際に戦う自由攻防で、自分の思うように展開するのは、容易ではない。


それによって、実戦の厳しさを学び、窮地になっても、簡単に諦めない心が身に付く。


しかしそれらの稽古が全て無く、『こう来たらこうする』式の、パーツの練習だけだったとしたら、、❓


私なら、とてもじゃないが、自信が持てない。


自信は、豊富なベースとなる基礎稽古と、豊富な自由攻防で、はじめて得られる。


各種の武術や格闘技にも、もちろん技法はあり、それを軽く見ている訳ではないが、、


それも主となる基本があってのこと。


そして技法を試す自由攻防があってのこと。


じゃないと、それはもはや『絵に描いた餅』であり、実態なき武術。。


(了)。


ニコニコニコニコニコニコ

人間には、闘争心や競争心というものがある。


人間以外の動物の場合は、闘争心というより、生存本能からの攻撃性と言える。


例えば、獲物を獲る時とか、外敵から身を守る時に発動する。


しかし人間の場合は、お互い競い合うのが好きな生き物。。


それは、人類の歴史を見ても明らかで、そのような中から現代のスポーツや武道、格闘技も発展して行った。


武術、格闘技は、相手から身を守る護身の意味合いとしても発展して来たが、、


やはり基本的には、人は人と戦い、競い合うのが好きなんだと思う。


であるので、、


一人一人にある闘争心や競争心を、スポーツや武道などで発散させることが、人類にとって一番健全なやり方と思う。


以前、十数年前だったか、、どこかの幼稚園か小学校の運動会で、徒競走の時、順位を付けるのは良くないと言って、みんなで手を繋いで一斉にゴールする、、というニュースが話題になったが、、


そんなバカな❗️

びっくりびっくりびっくり


と思った。


平等の意味を履き違えているのか❓

過保護過ぎるのか❓


よく分からないが、、


競争することで、人は成長する。


負けたくない❗️

チューチューチュー


と、頑張るからだ。


それに、そんな一部分を平等にしたところで、受験勉強もそうだし、世の中に出れば、それこそ競争社会。。


厳しい世の中で、生き抜いていかなければならない。


であるなら、子供のうちから肉体と精神を鍛えておいた方が良い。


そのためにも、闘争心や競争心は抑え付けるのではなく、発散し、自身の成長へと昇華させるべきである。


その点、実際に身体を突き、蹴り、ド突き合う極真空手は、闘争心を発散させるには、まさに打ってつけの武道。。


柔道や剣道、キックなども素晴らしいが、、


極真空手が一番ダイレクトで分かり易い。。


鍛えた身体と技を駆使して、直接殴り合う、、


こんな闘争心溢れた武道、格闘技は、中々無い。


これは子供だけでなく、大人にとっても、老若男女問わず、大事なこと。。


仕事や学校で少々嫌なことがあっても、道場に来て基本や移動稽古、型などで汗を流し、組手でド突き合い、闘争心を発散させれば、気分スッキリ❗️ほとんどのストレスが解消される。


なので、現在道場生の方は、益々稽古に励んで頂き、、


まだ入会していなくて、燃えるものが無く、日々悶々としている人は、是非極真空手に入門して欲しい。


繰り返すが、、


闘争心や競争心は、抑え付けるのではなく、発散し、昇華させること。。


そういう意味でも、極真空手は最高の武道。。


(了)。


爆笑爆笑爆笑

【防御こそ武の根幹】


このSNS時代においては、様々な空手流派の稽古の映像をすぐに観ることが出来るが、、


私達の団体ではない某極真系他流道場での少年部の組手稽古の様子、、


ほとんど防御のやり方も出来ていないまま、即物的に組手をやらせている。


なぜもっとちゃんとディフェンスを教えないのだろう、、❓


と、いつも疑問に思う。


40年、50年前とかなら、習うより慣れろ式にガンガン組手していた時代もあったかもしれないが、現代は全くそうではない。


組手の前には、きちんと受け返しの稽古を繰り返し行い、まず受けをしっかり出来るようにしなければ、ケガをしかねない。


打ったり蹴ったりは、誰でもある程度すぐに出来る。


防御が難しいのだ。


そして防御こそ、武の本質であり、根幹。。


もちろん私の指導が完璧という訳ではないが、、


そのような、


危ないな、、

ガーンガーンガーン


という映像を見るにつけ、


自分の道場では、道場生がケガしないよう、ちゃんと教えなければ❗️

チューチューチュー


と、気が引き締まる。


ーーーーー

【組手から外れる勇気】


話は変わるが、、


自由組手の際、ケガがあったり、体調不良などで、始めから外れる(やらないという意味)、もしくは、途中で外れる、ということは、改めて大切に思う。


ケガや具合悪いまま続けていても、そこからまたケガが悪化したり、別のケガを誘発することもある。


なので、そんな時は、遠慮しないで、外れて見学して欲しい。


外れることもまた、勇気である。


なぜなら、空手に限らず、団体で何か行う時、周りと違うことをするのは勇気がいる。


なぜかというと、無言の同調圧力があるから。


特にまじめな日本人は、気を使って無理をする傾向がある。


私の道場でも、決して組手を無理強いしたりはしないし、『いつでも外れて良いですよ』と常々言っているので、同調圧力はかけていないつもりだが、、


それでも恥ずかしがりの人は、中々言えなかったりする。


なので、そこは無理しないで休んで欲しい。


いつも書いているが、、


稽古は続けられてこそ、意味がある。


あまりに頑張りすぎて、燃え尽きてしまったり、ケガで長期離脱したりしては、元も子もない。


そこら辺、休む勇気、外れる勇気も持ちながら、、


これからも益々稽古を頑張りましょう❗️


爆笑爆笑爆笑

空手はじめとする武術、格闘技の一つのテーマ、、


それは、オリジナリティの追求。。


すなわち、自分なりのスタイルを創造する、ということ。


今、自分が習っている武術や格闘技の中で、どれだけ自分なりのスタイルを作り上げることが出来るか、、❓


これこそが、一番の醍醐味であり、面白さ。。


極真空手であれば、極真空手の中で自分なりのスタイルを作り上げること。


私の場合も、もちろん極真空手をベースとしながら、他の武術も取り入れ、様々な技術も付加しながら、独自のスタイルを作り上げている。


ナンバーワンではなく、オンリーワンの世界。。


これが武術の一つの大きなテーマ。。


かつて、大成拳創始者の王鄕齋老師は、


『人は光の中心にならなければならない。

すなわち、拳術とは、一人一人の個を光り輝かせるものである』

by王鄕齋老師


と、言われたという。


何と素晴らしく、感動的な言葉であろうか。。

おねがいおねがいおねがい


強い弱いも上手い下手も関係ない。


拳術を通じて、自分が自分として、どれだけ輝かせることが出来るか、、❓


拳を学ぶ意義は無数にあるが、最終的にはここに帰結する。


絵画や書道など、芸術の世界も全く同じであろう。


一人一人、顔も体格も性格も何もかも違う人類が、オリジナリティを求めるのは、至極当然の希求。。


人の道であり、人の営みである武術も、その道から外れることは無い。


(了)。


おねがいおねがいおねがい

昔、今から20年以上前、、


自分の任せられている所沢道場ではなく、どこか別の道場だったと思うが、、


組手の稽古で、私の顔面に相手の横蹴りを喰らってしまった。


幸い大したケガではなかったが、、


不覚❗️

私ともあろう者が、顔面に横蹴りを喰らうとは❗️

ムキームキームキー


と、自分に対してイラッとした。


その後、当時教えて頂いていた拳師の元へ、出稽古に行った際、、


『どうした❓元気ないな❓』

by拳師


『いや、自分としたことが、顔面に横蹴りを喰らってしまって、、

それが悔しくて、悔しくて』

by群


『ははっ❗️そうか、、それは良い勉強になったな。

相手に感謝だな❗️』

by拳師


ハッ❗️

びっくりびっくりびっくり

おお❗️

和尚❗️❗️

笑い泣き笑い泣き笑い泣き


と、大切なことに気が付かされた。


そうだ、、

やられた相手、やられた技に感謝だ。

笑い泣き笑い泣き笑い泣き


完璧だと思っていた自分の防御や対策の『弱点』を、相手の素晴らしい技によって、教えてもらったのだ。


空手、柔道、剣道など武道の世界には、


『打たれて感謝』


という言葉があり、、


意味は、


相手に一本取られた(技を決められた)時、自分の隙を教えてくれた相手に心の中で感謝しなさい、という教えであるが、、


まさにこれ。。


とっくに分かった気になって、出来ていたつもりであったが、全く出来ていなかった。


それを、我が拳師の一言で、再び思い出させて頂いた訳である。


なので、


おお❗️

和尚❗️

感謝❗️❗️

笑い泣き笑い泣き笑い泣き


という気持ちであった。


道場の稽古仲間は、共に勇気付け、励まし合う間柄であると同時に、、


組手ではお互いライバルであり、切磋琢磨できる相手でもある。

(もちろん力量が近い者同士の話)


だから、自由組手で、もしも良い技をもらったなら、それは相手を恨んだり、憎むものではなく、良い技を身を以て教えてくれた相手として捉え、感謝して、そして自身の成長へと繋げることが大切。。


もちろんかつての私のように、悔しさのあまり、相手への感謝まで考えが至ることは中々難しいことではあるが、、


もしも今後そんな場面になったなら、どうかこの言葉を思い出して欲しい。


打たれて感謝❗️

やられて感謝❗️


(了)。


爆笑爆笑{emoji:001_char3.png.爆笑}