自身の修行の上達の手応えを感じる瞬間はいつかというと、、
空手で言えば、、
基本技のスピードや威力が付いた、、
型の順番を覚えて、カッコ良く出来た、、
などから、、
拳立て伏せが50回出来るようになった、、
砂袋を強く打てるようになった、、
ミットの威力が上がった、、
などがあり、、
また空手の補強である筋トレや体力作りでも、、
ベンチプレスやスクワット、デッドリフトの限界重量が挙がった、、
ランニングやダッシュのタイムが上がった、、
柔軟の開脚で、胸がマットに付いた、、
とか様々にある。
修行者にとって、どの瞬間も大変嬉しく、
稽古を続けて来て良かった❗️
😄😄😄
と思える至福の時間。。
しかしなんといっても、、
上達の手応えを一番実感出来るのは、自由組手。。
自分の突きや蹴りが上手く相手に当てられた、、
とか、
相手の攻撃を上手く防御出来た、、
とか、
いつもやられていた先輩に、やられなくなった、、
とか、、
組手試合で勝つことが出来た、、
などなど。。
こうした瞬間が一番嬉しく、稽古の手応えを一番感じ、自信を持つことが出来る。
特に私が入門した36年前の総本部では、、
決して基本や移動や型稽古を疎かにする訳ではなく、それらも重視していたので、その数の反復が尋常じゃなく(一回のクラスでトータル90分くらい)、ひたすら基本や移動をやりまくってはいたものの、、
当時はやはり組手偏重主義というか、極真空手は組手が強くてなんぼ、という時代であり、私もその中で育ったので、とにかく自分の強さの手応えは、組手で得ていた。
なので今でもその習性は抜けず、道場での自由組手は大好きなのだが、、
でも、確かにそれは一理ある。
何故かというと、、
例えば、いくら組手の受け返し練習などで技の攻防技術を学んだり、関節技の打ち込みなどして、技の掛け方を学び、これらをマスターしたとしても、、
はて❓
やり方はわかったが、果たして自由組手で実際に使えるだろうか❓❓
という疑問感に、誰しもなるだろう。
やはり、何が来るか分からない自由攻防の中で使えてこそ、本当の技と言える。
そこは常に未知の領域であり、、
相手も自由意思を持って、こちらを攻撃してくるという、ランダムかつアドリブの世界。。
組手はそのような、いわば難解な状況で戦わなければならない。
当然、上手く行くことは少なく、被弾することもたくさんある。
しかしそういった難しい条件下だからこそ、そこで出来たことは、自身の大いなる手応えとなる。
逆に言えば、自由組手をやらずして、果たして自身の強さの手応えを実感出来るのかな❓
とも思う。
もちろんこれは、あくまでも私の個人的な主観なので、いつも言っている通り、道場生に無理強いはしない。
冒頭に書いたように、組手以外の稽古法やトレーニング法はいくらでもあり、その中でも達成感は充分味わえるから。
しかも空手の場合、極真空手ではない他流派(伝統派)の話だが、型の選手、組手の選手と分かれていて、型の選手は組手はやらず、組手の選手は型はやらない、なんて話もあるくらいだから、、
良し悪しは別としても、様々な価値観がある。
多様性が大事と言われる現代においては、なおのこと、様々な価値観があって、これをお互いに認め合い、尊重して然るべきである。
なので、基本〜型は、やはり空手なのでやるべきだが、自由組手は無理してやらなくても良いと思う。
ただ、個人的な主観としては、、
やっぱり組手やらないとな〜、、
手応え感じられないよな〜、、
😆😆😆
とは思う。
なので、出来る範囲で自由組手もチャレンジしてほしい。
そんな訳で、、
今回は上達の手応えについて、述べましたが、稽古を通じて、少しでも上達の手応えが感じられるよう、これからもみんなで頑張りましょう❗️
😃😃😃
強く成りたい❗️という気持ちに何の遠慮がいるものか、、
道場生は、たくさん稽古に参加して、道場を有効活用してくださいね〜❗️