虚しい誕生日 | 悲しみ

悲しみ

令和4年8月24日に出会って16年、結婚生活15年弱を共にした妻が55歳で永眠しました。妻に会いたい。

今日は僕の誕生日です。


誕生日になると2年前の誕生日の出来事が忘れられません。

トラウマです。

2年前の今日は日曜日でした。

朝、妻からショートメールが届きました。


誕生日おめでとうの一言、嬉しかったです。

「これからも、幸せに楽しく暮らそうね。いや、もっともっとやね。」

この文を読んで胸がジーンと熱くなりました。

「そう思ってくれてんのか」

嬉しいというか、何というか。

全力で妻を守ってやりたいと思いました。

妻が口寂しいというのでキシリトールガムを持って行ってたんです。

腸閉塞で食べられなくなったのでせめて味があるものを持って行ってやりたいと思ったのです。


この日、僕は主治医から妻の容態について説明をしたいと言われていたので午後3時に義弟と病院に行きました。

その時、主治医から思わぬことを告げられました。

心臓の働きが健康な人の4割くらいしかない。

いつ不測の事態が起きてもおかしくはない。

妻が延命治療はしない旨の書類にサインをしたのでサインをしてほしい。

僕はこれを聞いて目の前が真っ暗になり、涙が溢れてきました。

「そんなに悪くなっていたのか」

僕の想像をはるかに超えていました。

この頃はコロナで病室に入れませんでしたので妻に会えずに帰りました。

夕方になって妻から電話がありました。

「今日、病院来てたん?」

「うん、先生から呼ばれてたからな」

「何か知ってる声が聞こえたからそうやと思った」

一緒に来ていた義弟の声が大きかったから割と近い部屋にいた妻に聞こえたのです。

「何言われたん?」

この時妻に何と言ったか覚えていません。

翌月16日に妻は退院しましたが24日に他界しました。


この日はいいことと悪いこと両方あった生涯忘れられない一日です。

いいこと1割悪いこと9割ですが。

だからトラウマです、誕生日は。


今日は大学時代の友達から誕生日おめでとうメッセージを貰いました。

facebookやってるからわかったんでしょうが毎年メッセージくれるのは嬉しいです。

祇園祭の山鉾巡行の日に京都市内で生まれたから両親は嫌が上でも僕の誕生日を忘れることはありませんでしたが母は他界して父も記憶が怪しいのでもう覚えてないかも知れませんから友達一人だけですね、反応してくれるの。


虚しい誕生日です。