モード誌編集者歴35年の平工京子です。

 

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プロローグ

 

 

ダイヤモンド【悪夢のLAロケ①/暗雲の予感】

からの続き

 

 

きょうは、

私のブログの原点でもある

『流行通信』物語の第16話

【悪夢のLAロケ②/

ハリウッドの光と闇】

を一部加筆修正して、

再アップします。

 

 

 

 

宝石赤 宝石赤 宝石赤 宝石赤 宝石赤 宝石赤

 

 

ロスが無法地帯

様相を呈していた

1987年。

 

 

なぜ『流行通信』で、

丸ごと1冊、LAを特集することに

なったのでしょうか。

 

 

それは、当時のLAの

ユニバーサル・スタジオから

 

 

「スタジオの中で

ファッション撮影は

いかがでしょうか?」

 

 

と、売り込みがあったからです。

 

 

ロスの治安が悪かったこのころは、

ユニバーサル・スタジオ

集客に一生懸命だったのかも

しれませんね。

 

 

(↓似たような話はこちら)

ダイヤモンド【初めての海外/スリランカロケ①】

 

 

 

ユニバーサル・スタジオで

撮影ができるというならば。

 

 

と、考えをめぐらしたのは

30歳そこそこの若さで

編集長職にあった

東大卒のK女史でした。

 

 

ハリウッドの

光と闇を描きたい。

 

 

K編集長のインスピレーション源は、

アメリカのカルト的映画監督、

ケネス・アンガーが書いた

「ハリウッド・バビロン」という、

の問題作でした。

 

 

ハリウッドの醜聞を集めたこの著作は

発禁になったり、再販されたり、

内容のすごさで物議をかもした本です。

 

 

[amazon]ハリウッド・バビロン (1978年)

 

 

 

『流行通信』の巻頭特集では、

「ハリウッドの光と闇」をテーマに

20ページ以上の

ファッションストーリーを撮り下ろす、

というのが、

私、ヒラクに課せられたお題でした。

 


ロケーションは、

ユニバーサル・スタジオ

外でも撮る方向で企画が進行。

 

 

現地での撮影全般の手配は、

コーディネーターの会社を入れ、

東京の窓口になっている担当者とは

出発前に、編集部で

綿密な打ち合わせをすませました。

 

 

さらに、巻頭特集の他に、

ファッションページがもう2テーマ。

 

 

全部で40体にも及ぶスタイリングを

すべて自分でこなし、

アクセサリーのコーディネートも

万全です。

 

 

ただ、ひとつ懸念材料がありました。

 

 

特集のために、東京から

連れて行くことになったモデルが

「ハリウッドの光と闇」

描くにしては、

適役とは言いにくい、

 

 

小柄でぽっちゃりとした

子タヌキちゃんみたいな

女の子だったのです。

 

 

 

↑当時の私はこんな感じですからね。

「ハリウッドの光と闇」

ちょっと肩の荷が重かったです。

 

 

トップの写真は、

『流行通信』1987年4月号の表紙。

 

 

この赤い服を着たモデルが、

子タヌキちゃん。

 

 

私たちが雑誌で使う外人モデルは、

世界のいろいろな国から来日して、

通常、2ヶ月間、東京に滞在します。

 

 

モデルたちは、日替わりで、

しかも、時間単位で

仕事を受けるシステム。

 

 

ですから、海外ロケのように

一人のモデルのスケジュールを

まとまった期間、

押さえるのはとても難しいし、

高額なギャランティが

派生することになります。

 

 

折りしも、

このLAロケに出た1月というのは、

春物の立ち上がりで、

東京は撮影ラッシュの時期。

 

 

なんとか、スケジュールを押さえられ、

ギャラが折り合ったのが、

この子タヌキちゃんだったのでした。

 

 

顔の赤味が強くて、

赤鬼さんみたいになっているのは、

今見ると、全く謎です。

表紙ですから、当時は編集長もADも

これがいいと思っていたのでしょうね。

 

 

それに、おや?

 

 

特集のタイトルが、

「ハリウッドの光と闇」ではなく。

「ハリウッド探検記」

なっていますね。

 

 

いったい、何があったのでしょうか…?

 

 

ダイヤモンド【悪夢のLAロケ③/涙のアーモンドアイ】

  へ続く