モード誌編集者歴35年の平工京子です。

 

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プロローグ

 

 

ダイヤモンド悪夢のLAロケ②/

ハリウッドの光と闇

からの続き

 

 

きょうは、

私のブログの原点でもある

『流行通信』物語の第17話 

【悪夢のLAロケ③/

涙のアーモンドアイ】

を一部加筆修正して、

再アップします。

 

 

PHOTO/小暮 徹

 

 

宝石赤 宝石赤 宝石赤 宝石赤 宝石赤 宝石赤

 

 

年は明けて、1987年1月。

 

 

「ハリウッドの

光と闇を描きたい」

 

 

という、30歳そこそこの

できる編集長K女史の命を受け、

一路ロスへと飛んだ

私、ヒラクと同僚の松野君、

そして『流行通信』副編集長だった

R氏、通称“リュウさん”の3名。

 

 

 

 

 

フォトグラファーは、

体がいくつあっても足りないくらい

超売れっ子だった小暮徹さん。

 

 

たびたび広告の撮影で訪れていた

ロスの治安の悪さをよくわかっていて、

この仕事にはまったく乗り気ではなく、

しのごの言っていた小暮さん

拉致するように飛行機に乗せて。

 

 

 

この時点での懸念材料は、

東京から連れて行くモデルが

「ハリウッドの光と闇」

描くにしては、

適役とは言いがたい、

 

 

小柄でぽっちゃりした

体型だったこと。

 

 

なんせ、これですから。

PHOTO/小暮 徹

 

 

その子の名前はアンジー。

 

 

“アーモンドアイ”と呼ばれる、

アーモンドを横にしたような

切れ長の目が印象的な

カナダ人の女の子でした。

 

 

 

編集長のイメージはこれなんですけどね。

[amazon]ハリウッド・バビロン (1978年)

 

 

 

私たちの飛行機は朝、

ロスに到着。

 

 

ふつう、海外ロケの第1日目は

ロケハンに当てられ、

撮影はありません。

 

 

が、このLAロケでは、

押さえていたロケ場所の都合上、

第1日目から撮影が入っていました。

 

 

しかし、

アンジーの体調が、

絶不調…。

 

 

初日からの撮影にそなえて

ぐっすり眠ろうと、

機内で飲んでいた

睡眠薬がアダとなり。

 

 

threw up、

ゲロッピーちゃんだったのです。

 

 

日程はぎゅうぎゅう詰めです。

モデルがヘロヘロでも

撮影はしなければなりません。

 

 

しかも、何か所ものロケーションを

移動しながら撮影する強行軍。

 

 

ロスでお願いしていた

コーディネーターは、

マキさんという女性でした。

 

 

年齢的には40代半ば、

といったところでしょうか。

自分でロケバスを運転する

タフな女性。

 

 

私たちはマキさんの自前だという

小型のロケバスに

ぎゅうぎゅう詰めに乗って

何ヶ所も場所を移動して

撮影をしました。

 

 

アンジーも頑張ってくれましたが、

ぽっちゃり体型はしかたないとして、

これだけはいい、と思っていた

チャームポイントのアーモンドアイ

体調のせいですっかり

涙目になってしまって、

なかなかOKカットが取れません。

 

 

写真は、そのLAロケ初日に撮った、

映画用のレンタル衣装と

アクセサリーのお店でのカット。

 

 

PHOTO/小暮 徹

 

 

背景の可愛らしさに紛れていますが、

この時、もうアンジーはヘロヘロ。

 

 

涙目を隠すのに、

サングラスを掛けていますね。

 

 

絵にするには難しい場所が多く、

モデルもそんな具合だったので、

フォトグラファーの小暮さん

大変だったと思います。

 

 

そして、1日が終わるころには、

アンジーばかりか、

私、ヒラクもぐったりしていました。

 

 

ダイヤモンド【悪夢のLAロケ④/

窓の割れたロケバスでロス市警へ】

へ続く