モード誌編集者歴35年の平工京子です。

 

 

1984年12月6日とスタンプが入った写真。

スリランカで。

 

 

(↓初めましての方は、こちらへ)

プロローグ

 

 

ダイヤモンドモードな乞食ルックを追いかけて

からの続き

 

 

きょうは、

私のブログの原点でもある

『流行通信』物語の第7話を

リブログします。

 

 

入社試験の結果が補欠で、

約8か月間の自宅待機の後に

1983年1月に

『流行通信』編集部に入った

私こと、ヒラク。

 

 

別にこの編集部に入りたくて

入ったわけじゃないと、

不満たらたらだった私の愚痴を

いつもきいてもらっていたのが、

当時、モッズヘア

立ち上げたばかりのヘアアーティスト、

田村哲也さんでした。

 

 

愚痴を聞き飽きた

田村さんの説得で、

私は髪型を変えることに。

 

 

女子大生気分のロングヘアを

ばっさり、刈り上げにして

もうこの世界で

生きて行くしかないと、

踏ん切りをつけます。

 

 

が、コンプライアンスなき80年代。

 

 

三巨頭と呼ばれていた

女性上司三人の

掛け持ちアシスタントと

自分の担当ページの両立は

相変わらず激務が続き、

私はあっという間に

体を壊してしまいました。

 

 

そのころの私は

タバコを吸っていて、

咳が続くなぁと思いながらも

ストレスでタバコがやめられず、

小さいころの持病だった

気管支喘息が

再発してしまったのでした。

 

 

病状はかなりひどく、

入院と自宅療養を含め

何週間か、何カ月か、

会社を休みました。

正直、あの時、もしかしたら

死んでいたかもしれません。

 

 

 

 

それでも、何とか回復して

編集部に復帰しました。

 

 

命にかかわる大病を経験して

だいぶ肝がすわってきた私は、

不当なアシスタント業務は

ガンを飛ばして

きっぱり断るまでに成長。

 

 

そして、

入社2年目を迎える直前の

1984年12月、

スリランカロケを命じられます。

 

 

ちなみに、24歳のこのときまで

私は飛行機に乗ったことがなく。

 

 

初めての海外ロケが

スリランカなのではなく、

初めての海外旅行が

スリランカロケだったのです。

 

 

しかも、この時期、

スリランカは

長年にわたっての内戦中…。

 

 

飛行機に乗るのは初めてだし、

行先は内戦勃発中だし、

しかも初めての海外ロケだし、

 

 

ビビる私に、三巨頭のひとり、

若くて、できる女として有名だった

女性編集長Kさんがさらっとひとこと。

 

 

「ロケバスに乗っちゃえば、

都内ロケといっしょだから」

 

 

 

 

かくして私はスリランカの首都、

コロンボへと旅立ったのでした。

 

 

どんよりお疲れのヒラクちゃん。

 

 

 

その訳は、こちらへ↓

 

 

コンプライアンスなき80年代に

新米編集者のヒラクちゃんが

成長していくお話。

 

 

コロナウィルスで

自宅にここもっているみなさんの

退屈しのぎに

読んでいただければ幸いです。

 

 

 ダイヤモンド初めての海外/スリランカロケ②

へ続く

 

 

 

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