モード誌編集者歴35年の平工京子です。

 

1984年12月6日。

スリランカロケの真っ最中、ランチのテーブルで。

フォトフラファーの佐藤容一郎さんと。

 

 

(↓初めましての方は、こちらへ)

プロローグ

 

ダイヤモンド初めての海外/スリランカロケ①
からの続き

 

 

きょうは、

私のブログの原点でもある

『流行通信』物語の第8話を

リブログします。

 

 

コンプライアンスなき80年代。

 

 

『流行通信』入社2年目を

迎える直前の1984年12月、

新米編集者の私、ヒラクは

スリランカロケを命じられます。

 

 

ちなみに、24歳のこのときまで

私は飛行機に乗ったことがなく。

 

 

初めての海外旅行=初海外ロケで

しかも行き先は、

内戦勃発中のスリランカとあって、

かなりデスパレート(ぎりぎり)な

状況に追い込まれておりました。

 

 

出発までには、

 

 

スタッフとモデルのスケジュールを押さえ、

フォトグラファーと打ち合わせをし、

政府観光局の担当者と

現地入りしてからの段取りを詰め、

 

 

撮影する服を集め、

カルネ(通関のための書類)を作り、

パッキングをし、

成田送迎のロケバスを手配し…。

 

 

この山積みの仕事を

もう、やるしかありません!!

もちろん、ひとりで。

 

 

飛行機ではシートベルトの締め方が

わからなくて隣の人に聞いたし。

でも、恥ずかしいなんて

言ってられませんからね!!

 

 

そんなこんなを乗り越えて、

は~っ、やっとスリランカの首都、

コロンボに着いてからの

お話はこちらへ。

 

 

ちなみに、スリランカの食事は

インドと同じく、基本カレーです。

それと、産地だけあって紅茶は

バツグンにおいしかったですね。

 

 

 

 

新型コロナウィルスのおかげで

海外はすっかり

遠くなってしまいました。

 

 

安心して、渡航できる日が

早くもどってくると、

いいのですが…。

 

 

それまでは、

#stayhome で。

 

 

コンプライアンスなき80年代に

新米編集者のヒラクちゃんが

成長していくお話が、

みなさんのこころに

何か響くものがあれば幸いです。

 

 

ダイヤモンド撮影はインプロビゼーション

へ続く

 

 

ダイヤモンド ダイヤモンド ダイヤモンド ダイヤモンド ダイヤモンド ダイヤモンド