モード誌編集者歴35年の平工京子です。

 

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プロローグ

 

 

ダイヤモンド【相棒】 からの続き

 

 

 

 

きょうは、

私のブログの原点でもある

『流行通信』物語の第15話

【悪夢のLAロケ①/暗雲の予感】

を一部加筆修正して、

再アップします。

 

 

宝石赤 宝石赤 宝石赤 宝石赤 宝石赤 宝石赤

 

 

暮れも押し迫った、1986年の12月。

 

 

私、ヒラク同僚の松野君、

そして『流行通信』副編集長だった

R氏、通称“リュウさん”(仮名)は、

フォトグラファー、小暮徹さん

事務所に打ち合わせに来ていました。

 

 

 

 

翌年1987年4月号の丸ごと1冊を

LAのロケと取材で構成することになり。

編集は、この3名が担当。

 

 

これに先立ち、

編集長が自ら小暮さんに直談判して、

この号のファッションページを

すべて撮影していただく話が

決まっていたのです。

 

 

「オレは子守か」

 

 

編集担当が

私たち3人と分かった時、

小暮さんの口から漏れたのが

この一言。

 

 

1号丸ごと、

という大きな企画はこれまで、

編集長が自ら担当することも多く。

 

 

しかも、編集長から直接、

依頼を受けていた

小暮さんは、てっきり編集長が

LAに行くと思っていたようです。

 

 

当時、小暮徹と言えば、

広告にファッションに、

はたまたアイドルの撮影にと

八面六臂の大活躍だった

セレブなフォトグラファーです。

 

 

ですが、SO WHAT?

それが何か?

 

 

今、ここで、ごねられても

もう他のフォトグラファーを

リスケする余裕はありません。

 

 

エディターは、締め切りが

脅かされる事態が生じると、

世界の終末が

迫ってきたような気になります。

 

 

私は、小暮さんに、ブチ切れました。

 

 

「つべこべ言わずに

   撮ってください」

 

 

もちろん、心の中で、ですが。

 

 

小暮さんは、

いつも辛辣ながら

ここまでピリピリした

空気が漂う打ち合わせは、

かつてありませんでした。

 

 

今では信じられないことですが、

当時、LAは治安の悪さが

連日ニュースをにぎわすような

無法地帯。

 

 

広告の撮影でしばしば、

ロスを訪れ、

ヤバい空気を肌で知っていた

小暮さん

この企画にまったく乗り気ではなく。

 

 

そこを編集長に

口説き落とされた形だったのです。

 

 

思えば、小暮さんはこの時すでに

このロケの先行きに垂れ込める

暗雲を察知していたのかもしれません…。

 

 

 

トップの写真は、

ちょうどそのころの私。

 

 

1983年の入社から4年。

 

 

『流行通信』のおしん

呼ばれた私も

丸ごと1冊という、

大きな特集を任せられるまでに

成長しておりました。

 

 

カーディガンはメルローズ

長い間、愛用していた

ストライプのシャツは

名前は思い出せないけど、

当時流行っていた

デザイナーズブランドのもの。

 

 

眉毛を太く描いていますね。

 

 

このころになると、

私、ヒラクもかなりの数の撮影を経験。

 

 

しかも、

仕事をするフォトグラファーは

大御所から

アップカミングな若手まで、

一流どころばかり。

 

 

それに慣れっこになっていた私は

どんなフォトグラファーに対しても、

さほど気づかいもせず、

我が物顔で振る舞うように

なっていたような気がします。

 

 

 

ダイヤモンド【悪夢のLAロケ②/ハリウッドの光と闇】

 

へ続く