京都検定ファンBLOG

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京都検定ファンブログ 休止のお知らせ


本ブログをご覧いただきまして、ありがとうございます。
2011年より、京都の四季折々の情報をご紹介してまいりましたが、京都検定のWEB展開を見直すにあたり、本ブログも休止することになりました。ご了承いただきますよう、お願い申し上げます。


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           ペンネーム:京田辺のアラ古稀一休

 

 「京の冬の旅」非公開文化財特別公開の対象のうち、妙心寺にある塔頭3か所(天球院、麟祥院、龍泉菴)を訪ねました。
そのあと、京都府立植物園で開催されている「早春の草花展」を見てきました。こちらは京都検定合格証の提示で無料でしたので何だかうれしい気分でした。
 


特別公開開始時間の前に、前回訪問時に法事のために拝観できなかった法堂明智風呂を見学しました。法堂では、雲龍図国宝の妙心寺鐘(黄鐘調(おうじきちょう)鐘)の昔の音色を聴くことが出来ました。
妙心寺法堂狩野探幽筆通称「八方睨みの龍」は、見る位置によって表情や動きが変化するように見える不思議な龍でした。(写真は撮影不可の所は現地の案内看板を撮影。以下同じ)

 

 

特別公開である岡山藩主池田光政兄弟が建立の「天球院」では、狩野山楽山雪筆の障壁画や、廊下にある伏見城から移した血天井などをガイドさんが詳しく説明されていました。

 


 
狩野山雪筆の障壁画
 


8年ぶり公開の春日局ゆかりの「麟祥院」では、春日局と海北友松が知人であり、その子の友雪を支援したことなどで、海北友雪の雲龍図がこのお寺に存在する経緯の説明などがありました。
 


海北友雪筆 「雲龍図」


 

5年ぶり公開の「龍泉菴」は、妙心寺塔頭のなかでも寺格の高い「妙心寺四派」の一つである龍泉派の本庵であり、日本画家・由里本出(ゆりもといずる)氏が描いた100面に及ぶ障壁画があるそうです。そのほか狩野探幽筆「観音・龍虎図」、長谷川等伯筆「枯木猿猴図」(複製)なども特別展示されていました。

 


 
日本画家・由理本出氏による障壁画
 


今まで、妙心寺では塔頭の「退蔵院」や「東林院」は数回見学していましたが、それ以外は普段は非公開でもあるため今回の3寺院も初めてでしたが、それぞれ素晴らしい文化財がありました。妙心寺には40以上の塔頭があるようなので、どれほど多くの文化財があるのだろうかと思いました。
 なお、今年の京の冬の旅では、スタンプラリーがあり、3か所まわったら抹茶とお菓子などの接待を受けられます。もちろんおいしくいただきました。

そのあとに京都府立植物園早春の草花展を見に行きました。
会場内は、外と別世界であり、早くも春の香りがいっぱい漂っていました。


 会場内の風景

 

 

ラッセルルピナス 


チューリップ

 

シクラメン


 会場までの花壇では、春を告げるスノードロップ福寿草が迎えてくれました。

 

スノードロップ(左)と福寿草(右)

 

 今回の散策では、京の冬の旅と早春の草花展を一日で巡ることが出来、確実に春の訪れが近づいていることを実感できました。少しウキウキした気分になって帰路につきました。

 

ペンネーム:山科のNanibah

 

 岩屋神社初詣に行ってきました。一の鳥居は車道にあります。

 


 普段は静寂な場所なのですが、元日とあって、参道には長い行列ができていました。ここは地元の人に愛される歴史の古い神社なのです。

 

 

 御祭神は天照大神素戔嗚尊の誓約から生まれた五皇子の長男である天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)、その妃の栲幡千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)、その皇子の饒連日命(にぎはやひのみこと)の三柱です。天忍穂耳命は勝利の神、栲幡千々姫命は織物の神、そして安産、子宝の神、饒連日命は病気平癒、交通安全の神とのことです。饒連日命は大宅氏(物部氏)の祖神であったとも言われています。岩屋神社の起源はかなり昔にさかのぼるようです。

 


 

  岩屋神社の奥之院には大きな二つの岩、陰巌陽巌が磐座として祀られています。それは奈良時代以前の石座信仰の名残だそうですが、宇多天皇の時代に陽巌天忍穂耳命陰巌栲幡千々姫命、岩の前の小さな祠は饒連日命として祀られるようになったとのことです。
 奥之院は岩屋山の中腹にあります。岩屋神社の参道にはあんなに多くの参拝客が並んでいたのに、奥之院へ行く山道には人影がありません。まるでもののけ姫の森のような雰囲気で、獣や精霊がひそんでいるかもしれません。獣や精霊の眠りを妨げないように、静かに山道を上りました。

 


 冷たい空気を吸い、せせらぎの音を聞きながらひたすら上っていくと、前方に赤い鳥居群が見えます。

 


 神秘的で幻想的な雰囲気です。

 

 

 鳥居群をくぐって、ずんずん上に行くと、山型の巨岩がそびえたっているのが見えました。下方の岩は陰巌、上方の岩は陽巌です。気のせいか、岩が微笑んでいるような気がしました。このような神秘的な世界を見せてくれた巨大な陰と陽の岩に手を合わせて、感謝しました。

 

 

 山を下りてから、岩屋神社の隣の笠原寺(りゅうげんじ)に寄ってみました。笠原寺は真言宗智山派のお寺で川崎大師京都別院です。1979年に笠原尼が開山されたとのことで、1日尼僧修行が体験できるお寺としても知られています。私のように岩屋神社から流れてきた参拝客が大勢いました。

 


 

 大本堂の前で若いお坊さんに「よかったら、お参りしてください」と誘われて、中に入りました。大本堂では新春護摩焚きが行われていました。みなさんといっしょに護摩焚きを見ながら、僧侶の後について「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」と唱えました。さらにいくつかのお経を唱えたあと、内陣にお参りしました。最後に、護摩祈祷の読経を聞きました。護摩焚きの火が燃え上がり、お堂に太鼓の音と僧侶の読経が響き渡ります。真言宗の護摩祈祷はまるでジャズのセッションのようで、自然に身体が揺れ、気分が高揚していきます。トランス状態に近い感じかもしれません。祈祷でエネルギーを得たような気がしました。そのあと、外に出て甘酒をいただきました。温かくとろりと甘い甘酒を飲んで、さらに元気が増しました。
 岩屋神社笠原寺のおかげで、霊的で楽しい元日を過ごすことができました。良い一年が迎えられそうです。

 

 

ペンネーム:京田辺のアラ古稀一休

 

 学生時代の同窓会で、晩秋の大覚寺仁和寺を散策しました。メンバー中の寺院ゆかりの方のご厚意のおかげで、普段見られない場所などを見ることが出来ました。季節は師走の上旬でやはり紅葉は殆ど散っていましたが、わずかな残りモミジを楽しみました。
 大覚寺の明智門は、一般の観光客が入場する大門の西側にあり、明智光秀亀山城を移築したものだそうです。
 時代劇のロケでさかんに使用されていたようです。必殺シリーズでも奉行所として撮影されていたようです。両側のなまこ壁が特徴です。


 

大覚寺は、嵯峨天皇の離宮を皇女正子内親王が寺院に改めた真言宗門跡寺院であり、また華道嵯峨御流の家元でもあり、明智陣屋の玄関にも生花が置かれていました。


 

一般の見学コースでは入れない庭湖館の衾には琵琶湖の風景が描かれていました。


 

そして一般客が出入りする大門玄関には、狩野永徳による「松に山鳥図」が飾られていました。


 

宸殿には狩野山楽筆の「牡丹図屏風が周囲に飾られていました。美しさに時間を忘れるほど見とれていました。


 

 

 大沢の池は周囲の紅葉も終わりかけで、静けさや寂しさを醸し出していました。


 

 

 「勅封心経殿」は、嵯峨天皇が飢饉や疫病を収めるために、弘法大師の勧めで般若心経を写経し勅封されているお堂ですが、60年ごとの戊戌(ぼじゅつ;つちのえ・いぬ)の年に開封されるようです。今年がその年に当たり、戊戌の法会が10月~11月に行われ、皇室の方々が次々と参拝されたようでした。なお、この法会は、今年が20回目だそうですから、1,200年前に始まったようです。


 

 

 次に同じく門跡寺院世界遺産仁和寺」を見学しました。こちらは玄関で華道御室流の生花に迎えていただきました。


 
 

 至る所で名残のモミジが癒してくれました。


 
 

 宸殿などに修理の足場などが組まれていたため、尾形光琳、乾山屋敷より移されたといわれる茶室遼寧亭」を見学させていただきました。内部には京都迎賓館の和室と同じく高価な中継ぎ表の畳が敷かれていました。


 
 

 宸殿北側の「遼廓亭」から、光格天皇ゆかりの茶室飛濤亭」に至る途中にも、モミジが緑の苔に美しく映えて、楽しませてくれました。


 

 

 茶室飛濤亭」は、にじり口がなく、立ったままで入れるようになっていました。天皇が茶室に入られる時、にじり口があると頭を下げるような姿勢になるからとのことでした。


 
 

 最後に秋の特別拝観で、金堂裏堂にあり建立より372年を経て初公開の「五大明王壁画」を見学しました。通常は見ることが出来なく、僧侶でもロウソクの薄暗い明りでしか見られなかったようです。そのため、色が鮮やかに残っており、非常に美しい壁画でした。
そのうち降三世明王図を、現場では撮影禁止のため、パンフレットから撮影しました。TVでは何度も放映されていました。


 

 今回は紅葉が終りかけた時期の散策でしたが、普段は入れない部屋や見学できない茶室なども訪れることが出来、最後に特別拝観の五大明王壁図も見られたため大いに満足して帰路につきました。

 

             ペンネーム:京田辺のアラ古稀一休


 天気の良さに誘われて、近くの通称一休寺紅葉を見に出かけました。いつもは落ち着いた雰囲気で静かな境内を散策できるお寺ですが、今年は「そうだ京都、行こう」のJRキャンペーンのためか沢山の観光客が途切れることなく訪れていました。
 京田辺市にある一休寺は、元は妙勝寺という鎌倉時代の臨済宗のお寺でありましたが、15世紀半ばの戦火のあとに一休禅師が再興し、師恩に酬いる意味で「酬恩庵」と命名されました。そして後半生の生涯をここで送り、81歳で大徳寺住職となった時もこの寺から通われたそうです。


 

 方丈は、加賀三代目の前田利常公の寄進で重要文化財に指定されています。その周囲には庭園が広がり、北庭は蓬莱庭園、東庭は十六羅漢の庭、南庭は白砂の枯山水庭園となっていて、江戸初期に石川丈山や松花堂昭乗らによって作られたと言われているようです。

 

参道のモミジ
 

 

参道の突き当たりの場所

 

一休禅師は室町時代の後小松天皇の皇子であったため、その墓所の門扉に菊花の章がありました。


 

本堂の奥には一休禅師の晩年の像があり、参詣者を見守っておられるようでした。


 

誰もが知っている子供時代の一休さん

 

 そして、とんち話で有名な橋ですが、気になってやはり真ん中を通ってわたりました。


 

本堂前です。
 

 

本堂手前のモミジは、緑、黄、赤色が交じり合ってひときわ美しく見えました。


 

 

庫裏につながる方丈前の枯山水庭園では、多くの人が写真撮影をしていました。


 

浴室南側の色とりどりのモミジの前では、撮影する人が並んで順番を待っていました。


 
 

ここは日の良く当たる場所のため、モミジが日光を浴びてとても綺麗でした。


 

塀沿いのモミジ

 

普段は静かで地元の人が訪れる程度の一休寺も、今年は連日観光バスで多くの人々が押し寄せて、狭い境内が大変混み合っていました。多数のバスガイドさんが次から次へと団体客を引き連れて、また方丈では複数の観光ガイドさんがお寺の説明をされていました。
 天気も良く、日の当たるモミジが日の光に映えてとても美しく見えました。
多くの人が訪れて一休さん草葉の陰でさぞ喜んでおられることでしょう。

 

ペンネーム:京田辺のアラ古稀一休

 

秋の七草の一つであるが準絶滅危惧種でもある藤袴フジバカマ)が、公開されている報道を聞き、寺町通りの丸太町から二条までで開催されている藤袴まつりに行ってきました祭
藤袴はキク科の野草で源氏物語にも登場し、淡い赤紫色をしていますが、ここの藤袴は色が薄くて、1998年に大原野で発見された自生種を保全しているものだそうです草と花
 丸太町通りを下がるとすぐに下御霊神社があり、入口から本殿まで藤袴が咲き誇っていました鳥居

 


 

近くの歩道には、坂本龍馬に深く影響を与えたといわれている横井小楠殉節地の石碑がありました石碑小楠はこの場所で暗殺されたようです娘①004周囲に藤袴が添えられていました「ハイっ」の手

 

 
さらに南へ下がり、竹屋町通り交差点東側に西国19番札所である革堂(こうどう)行願寺がありました寺境内には赤い毛氈が敷かれ、両側に藤袴の鉢が沢山並べられていました赤

 


本堂前

 

茶会もあるということで、和服姿の女性が準備に来られていました日本茶(透過)花には着物が合うのか、急にあたりが華やいだ雰囲気になりました着物


 

 

本堂前に藤袴の鉢が寄せられ、アサギマダラという蝶の形をした短冊が沢山吊るされていました蝶裏面には願い事を書かれているようでした流れ星

 


革堂行願寺都七福神の寿老人を祀る寺でもあります手境内には七福神の石像がありました石
また、が境内を自由に動き回って終始参拝者をおもてなしをしていましたチャトラシロネコ*

 


境内の藤袴に「ツマグロヒョウモン」が時々飛来してきていました天使の羽次々と花を巡っていましたキラキラ青


 

 

一方藤袴の香りを好む「アサギマダラ」はなかなか現れませんでしたが、4~50分経過後にあきらめて帰ろうと思った瞬間に飛来してきましたはっ我慢して待った甲斐がありましたアップアサギマダラは海を渡る蝶といわれていると藤袴まつりのポスターに書いてありました海と島祭を主催する源氏藤袴会のシンボルのようですびっくりまーくポスターは会場周辺の至る所に貼ってあり、祭を盛り上げていました登場

 

 

アサギマダラ藤袴
 

 

寺町通りには、歩道にも藤袴が所々に置かれていました手

 

 

また、歩道には囲碁「本因坊」発祥の地にちなんだモニュメントもありました囲碁
 
 


 寺町通りや、沿線の下御霊神社革堂行願寺)を取り込んだ藤袴まつりは、あたり一面に藤袴を配置して、周辺は甘い香りが漂っていました桃色吐息このため、非常に心地よい気分に浸ったまま帰路につくことが出来ました幸せ