無様なアップデート。 | 境界線型録

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I Have A Pen. A Pen, A Pen Pen Pen.

 

 今日は意外に労働。兼業主婦のデザイン屋さんから初稿の戻しが来たので、確認して再修正のお願いをしたり、あっと思い出し忘れ果てていた正規労働の資料を探したり。という中で、もっとも時間を費やしたのが、プリンタの稼働問題だった。
 これにはビビった。Windows8.1にしたら、私が使っているプリンタが認識されないらしく、ドライバがインストールされない。されないということは、印刷できないということで、業務上けっこう差し支える。あまり印刷出力はしなくなったけど、PC上で確かめつつやるよりも楽な場合、資料を出力してチャカチャカと作業するから、やはりプリンタは働いてくれないと困る。
 ネットで調べると、8.1以降ではそういう問題が多発しているらしく、ウインドウズって未だにとんでもない不良品なんじゃんとびっくりした。
 新聞で車のリコール通知の一割が未達でやばいなどという記事を目にしたが、やばいのはリコールするような製品を販売しているメーカーじゃないの、と思う。日進月歩だからどんな時点でも完璧なんてことはあり得ないけど、人間の生命に関わる問題などもとりあえず早い者勝ちだから未完だけど売らなきゃソンソンと売ることがアドバンテージを獲得するのである的な経営センスには、どうにも首がかしげる。パソコンだって、第一に欲しいのは凍り付かない安定性なんていうまでもない当たり前のことで、最低限、穏やかに稼働し、データをちゃんと記録でき、ネットにつながり送受信でき、必要な場合はすぐに出力してしげしげと眺められるなんて機能だろう。AVだのエンタメ系のなにかが不具合になっても別にどうでも良いけど、業務上不可欠の機能が平然と不具合に陥るのは御免被りたいものである。
 もっとも、プリンタのメーカーサイトでドライバを頂戴しインストールして問題はすぐ解決したから良いけれど、こういうのですらあまり詳しくないユーザーだと困窮するだろう。私もまったく詳しくないけど、その手のトラブルは場数を踏んでいるから、だいたい対処方法は判る。が、気の善いお爺さんやお婆さんだったりすると、厳しそうな。
 

 Windows8以降の悪口はかなり書けそうな気がするけど、さして興味はないのでどうでも良い。とりあえず業務に使えるようになったので不満はない。所詮、半製品なのは二十何年も前から判っているから、愚痴をこぼす以上のこともない。私がその系の仕事をやっていたなら、まず98程度で充分と感じるユーザーのために、そのレベルでのほぼ安定動作を保証し得るOSの完成を目指す気がするけど、競争激しい世界ではそんなヒマはないのだろう。とにかく不備など無視して、次へ次へと進まなければ儲からない。勝たなければ、未来はないのだッてな感じかな。バカバカしいけど、それが現実だろう。勝たなくても、未来なんて、いくらでもあるのに。
 車に触れたついでに記すと、それもコンピュータみたいにいつでも半製品で、完成ということがない。けれど、私的にはもう一九九〇年代で完成の域に達していて、その後の進化はただの贅沢競争じゃないかと思う。燃費の向上などは悪くないけど、安全性に関して車が害を与えかねない歩行者の安全に目が向き出したのはこの数年くらいと見える。そういう工夫は重ねて欲しいし、安全性はどこまでも進化していくべきだけど、どうもデジタル技術に偏向しているようで奇妙に感じる。車にとって最悪のリスクは、人間が操作するという点だから自動運転の実現を目指すという理屈は判るし、社会的にそれがもたらすメリットも多大なのは当たり前だが、本当に人間社会にとって有益と言い得るのか?という点には甚だ疑問を覚える。特にそれがもたらす人的雇用の崩壊はかなり大きいはずで、運転手さんという存在が不要になるわけで、いかほどの雇用が減少するのだろうか?経産省はそういう試算をやっているのだろうか。やっているなら提示して欲しいけど、今のところ目にしたことがない。
 もしも自動運転が当たり前になり、運転手さんという職種が無用になったら、どのくらいの失業者が発生し、現実としてその人々を受け入れ得る雇用がどのくらい創出できるのか?というシミュレーションがあって当然だけど、そういう話を聞いたこともない。つまりは、アセスメント不在のまま先へ先へと走るからアップデートだのリコールだのが必要になるわけで、ちゃんとアセスメントして発生が予測される問題を備に検討しながら着々とやれば、Windows8.1に私が使っているプリンタのドライバがないなんて事態にはならないに違いない。
 

 先へ先へと走るばかりに喪失されることは多々あり、しつこいけれど、「合気」という技もそれで喪失されたような面もあると思う。日本語表現の感性も似ているし、ものづくり大国からドロップアウトしつつある現実もそんな辺りに起因しているような。なにしろ、進化とか進歩というのは、土台ありきで実現されるから、土台が脆くては話にならない。ハード的なものははっきりと可視的な土台の上に積み上げられざるを得ないだろうからきちんと進化できると思うけど、ソフト的なものはインチキ極まりないものが平気で罷り通る。特に情緒的な世界などそれだらけで、触れるのもバカバカしくなる。ジャニーズとか秋本系のアイドルをアーティストとか呼ぶセンスの異様さには呆れるより他にないし。
 などと思うと、日本の昭和以降の文化って、基礎を失った構築物じゃん、としか思えない。
 基礎というのはどんなものでも、過去の上に立脚するわけで、過去を吹っ飛ばして成立する基礎などないだろう。古いプリンタのドライバなんて要らねぇじゃんという感性は、基礎を喪失しているということで、根無し草同様の進化にしかなり得ない。
 日本人は昔から暖簾を重視してきて、それはいみじくも伝統継承の高等な技になっていた。名匠が暖簾分けしたのは、暖簾の意味を理解し得た弟子にだけだろう。だから価値があったはずだけど、近頃の暖簾分けはただのフランチャイズ的で価値などほとんど感じられない。金を払ってちょっと研修すれば暖簾分けしてやるよってな感じで。
 ラーメン屋とかそば屋もそんな感じになりつつあるのだろうか。
 

 経済が主たる価値尺度になれば、暖簾分けは商売になるけど、本質に拘れば経済的な価値尺度などあり得ない。コンピュータも売れないと開発資金ができないから、まずは売って資金を得るべきということになるのだろうけど、これは鶏と卵の議論じみていて、解決などないだろう。ひとつはっきりしているのは、本質が進化しているなら、やたら滅多のアップデートだのリコールは無用になるに違いないということか。それが未だに多々あるということは、日本も途上国だということだろうか。いや、世界中の先進国というのが、みんなそうらしいけど。
 アップデートとかやらされるたびに思う。
 早くアップデートなんて要らない時代になって欲しい、と。