境界線型録

境界線型録

I Have A Pen. A Pen, A Pen Pen Pen.


テーマ:

 ようやく、先日落とした伐採枝の片付けができた。本当は朝から整形外科へ行くつもりだったが、面倒臭くなり、止めた。実は労組主催の新人車夫向けフォローアップ研修というのもあり、それはぜひ受けたかったが、止め。なにもかも、止めて、庭掃除することにしたのだった。
 けれど、庭木の手入れは序の口で、毎年手こずる金木犀と山紅葉が残っている。トネリコも手つかずだし、裏のネズミモチもとりあえず小さくしただけで仕上げていない。本番はこれからで、さらに数倍の伐採枝の置き場を確保するために掃除したようなものである。
 とはいえ、伐採枝から葉を落とし、裸の枝はリサイクルに出せるように六十センチ以下にして薪みたいに束ねるが、その作業をしていると長閑な心持ちになり気分が良い。代筆屋のころは、ずいぶん長い時間をかけてのんびりやっていたなあと思い出す。考える仕事だから、そんな時間も仕事していられて都合が良かった。葉っぱを刮ぎつつ、ハッとフレーズを思いついたりしたものだった。頭脳労働の利点だろう。
 私はしかし意外に肉体労働が好きで、頭脳労働はあまり好きではない。考えることは好きだし、問題解決は趣味といって良いし、けっこう難問も片づけてきたが、あまり労働したという実感がない。たいていアイデアを思いつけば一瞬で終わるので、働いた実感というものがないのだろう。代筆フレーズは思いつかないと何日も悶々とするけど、思いつくと数秒で終わる。いや、いくらか推敲するから数日はかかるが、いかにも働いたぁという感じではない。作業は情報収集とか分析しつついろいろ試行錯誤を繰り返すけど、辛いものではなく、むしろ愉しいものである。資料を眺めて、ヘェこんなこともあるのかぁケケケッとか笑っている内に終わってしまう。苦労ということがほとんどなく、遊んでいるようなものだった。けれど、自身は肉体的に活動し、汗を流したい願望があり、代筆を辞めることにしたとき真っ先に考えたのはガテン系への転職だった。
 第一候補は、憧れの鳶。これは名前が良い。お見合いなんかして、「お仕事は」と問われたら、「鳶です」と言えるだろう。なんとなくカッコイイではないか。ま、この年でお見合いはしないと思うが、一度で良いから、「鳶です」と言ってみたかった。トンビではなく、トビね。
 が、この年ではちょっときつそうなので、塗装とか建築関係も考えたが、今どきのそういう仕事の募集を見ると、どうも職人を育てる感じではなく、使い捨て労働力を求めているように思われて、その気になれなかった。
 ならば、料理人が良いかな、とやはり色々眺めたが、似たような状況で、唯一興味を持てたのは、ウナギ職人だけだった。おっ、ウナギが食えるじゃないか、と喜んだ。しかも年齢不問とあるので電話したら、若者しか要らないとけられてウナギだれた。いや、項垂れたのだった。

 話しの流れがこうなったので、ちょっと転職のことでも記そうか。
 車夫というのも昔から興味があり候補にしていたが、最後の切り札的に考えていた。というのは、昔からそういう職らしいという話を聞いていたので、他に思い当たらなければやってみるかという程度だった。興味がある点は何度か記したので割愛するが、車という小さな空間で、まったく見ず知らずの人間が同じ時をどのように過ごすのだろうかとか、イカレタ客が多いと噂に聞くがどんなやつらだろうかとか、そもそも何故車夫になるのだろうみたいなことが知りたいと思っていた。で、この五月の末頃にチラッと探ろうかと電話してみたら、あれよあれよという間にやることになってしまったのだった。
 実際に車夫になってみてわかったことも多く、世間一般が抱いている印象とはかなり異なる世界だと言うこともわかった。数ヶ月体験してみてはっきり言えるのは、なかなか面白い仕事であり、社会的価値も高いと言うこと。高齢社会にぜひ必要とされる仕事であり、企業側の意識レベルも低くはない。私が見た限りでは広域の組織体も各企業もそういう問題意識を共有して、新しい時代に要請される車夫業へと移行させたがっていて、かなり企業努力もしている。また、報酬も完全歩合が多く、たいへんわかりやすい。歩率がはっきり決められているので、不正なピンハネなどはできない。車夫はやった分だけ獲得するとわかっているから、歩率に納得していれば、不満は出にくい。
 この点はひじょうに利点が多く、年齢や性差による差別もないという公平性が実現されている。私より高収入の若い女性は大量にいて当然の世界であり、ベテランだから怠けていても稼げるということはない。完全歩合制とは公平平等を実現する有効な仕組みと言っても良いだろう。
 組織体系も面白く、管理側は普通の会社と同じだけど、下部の労働者階級には組織的な縦横の関係性があまりなく、上司も部下もない。七十歳の男も二十歳の女も完全歩合の評価から見れば対等の関係になる。完全フラットなわけだが、やはり老若男女の差別はあり、自然発生的に新入りは先人を尊重し、男と女は相互に社会一般的に認識されている関係性を重んじていて、なんとなく良い感じになっている。
 そういう世界にあって、私はほぼ独行型のためか、先輩もクソもねぇという感じで呑気にやっていたせいで、なにか暗黙の諒解的なルールとかマナーのようなものを蔑ろにしたらしく、小さな駅から追い出してやれッという圧力を受ける羽目に陥ったが、まあ、それはしかたない。ルールもマナーも知らないまま突入したので、適当に誤魔化して有耶無耶にするしかない。もう裏も表も工作はしてあるから、それでもしつこく来るなら個人レベルでやれば良いだけになった。たぶん、昨日の朝に機会があったのでやった表工作で収まり出すと思うし、そろそろ裏も動いているはずなので、またしばらくは呑気にできるのではないかと思われる。面倒臭くてばかばかしいが、車夫の世界はそういうものらしい。

 なんとなく気分が乗ってきたので、現状で知り得た車夫の世界についておさらいしようと思ったけど、もう眠るべき時が迫ってしまった。この後、特に記したいことがなければ、少しの間はそんな日記にしようか。
 どうも、当初予定していた二年の勤めは完遂できず、もしかするともっと早く脱車夫してしまうかもしれないので、観察速度を上げないとイケないから、あまり書かずにいたことも記しておこうかなと。読んでも意味不明かもしれないが、私的には意味がある。そもそも大矛盾があり、私は車夫という仕事にかなり価値を認め、有益だと考えているが、もうさっさと辞めたくなっている。この辺が面白い点で、誉めたり貶したりしつつ、その理由を炙りだしたいわけだ。最終的な答えはわかっていて、自分の生活には適合しないなと言うだけだけど、もしかしてニッキンにできれば続くかもしれない。可能であれば二年は続けたいので、ぜひニッキンに変えたいが、当分は無理らしい。せっかく社会的価値を認め得る仕事だと感じたのに止めざるを得なくなると腹が立つから、ややこしい形で悪口してみようという魂胆でもある。
 ただ、仕事としてはとても意義があり、雇用体系も悪くない企業が多いので、車夫になろうか迷っている人は迷わずやってみると良いだろう。生活感覚に合致していれば、こんな快適な職はないかもしれないから。私には合わないが、イケてるあなたには合うかもしれない。この後悪口しそうな気がするけれど、なかなか良い仕事だと言って良いだろう。
 仕事に迷ったあなたは、ぜひ、車夫になろう。お申し込みはいますぐッ、と思うくらい良い仕事だと断言しておこう。私には合わないけど、意外に未来型雇用のヒントがありそうな世界ではある。





テーマ:

 孫の七五三で、朝からバタバタ。私は特になにもしなかったけれど、着物の着付けだの髪結いだのと女衆は騒がしく、老母はちょっと具合が悪く参加しなかったが、長女も来るので大きな駅で拾い、ようやく目指す神社へ辿り着いたのは午前十一時過ぎだった。行事はほんの十五分ほどのことなのに、日本の親たちは千年くらいこういうことをやっているのだろうか、と感慨に耽っていた。
 無事に言祝いでもらい、近くのレストランで昼食をとり、たぶん老母がふて腐れているはずなので、一統引き連れて老母宅へ行った。老母は六十歳までに自分は死ぬと絶望的だったが、還暦過ぎても生き存えていると自分が死ぬことはないというくらいの勢いになり、来年は八十四歳になる。六人目のひ孫が来ると、勢いはさらに激しさを増した。
 休日にまで車の運転などしたくないが、やらざるを得なかった私はグッタリし、老母宅にいる間ずっとマッサージ椅子に倒れていた。時々、孫が「ジイジ、ジイジ」と来るので引きずり下ろされたけれど。それにしても、あんなに、「ジイジじゃなくて、ジジイなんだよ」と教えたのに、私の教育は孫に滲みこまなかったらしい。

 帰りには長女をマンションまで送り届け、夕方六時ころに帰宅し、焼酎を一口舐めるといよいよ肉体疲労が実感され、老母宅でもらってきたおでんと助六寿司で夕餉をすませ、風呂に沈んだ。
 湯に融けていくと眠ってしまいそうだった。
 なんとか眠気を堪え、今この時を迎え、辛うじて日記している状況である。やはりカッキン車夫の生活だと睡眠の安定的なリズムが保てないため、時間的にはさほど不足なく眠っているはずなのに、いつも眠くてしようがなくなる。長年一日十時間くらい睡眠する生活に慣れ親しんできたせいだろう。どちらかというと十時間睡眠の方が病的な気もするけれど、その頃の方が断然、心身ともに健全だった気がする。今はかなり不健全で、朝目覚めた瞬間から眠る前まで、常時眠い。これでは寿命も縮まることだろう。さまざまな労働者の中で、もっとも短命らしいのが車夫だという話しを教習中に誰かから聞かされたが、あながち嘘ではないのかもしれない。
 それでも、孫とつないで歩いた手の感触など思い出すと、ちょっとだけ心身は緩む。あの柔らかさは原初生命体の柔らかさなのだろうと思う。
 思春期のころに女の子の手を握るような感動とはまったく違う、形容しがたい柔らかさであり、熱さも力強さもない、春の空気のようでもあり、けれど確かに実体も実感もある柔らかさである。神々しいような、柔らかさとでも言おうか。

 八百万は神であり、子も孫も神であるならば、七五三なる神事の主は、実は子供ではないのか、というような思いも起こる。この健やかな将来を言祝ぎ祈ることは、やけに硬くなってしまった大人なるけったいな生物に、本来はそのように柔らかな生命体であったのだと言うことを思いだせるためにやられるべきなのかもしれないなあ、とも思う。
 ま、ややこしくなると眠れなくなるから、このくらいにしておこう。
 孫がすくすくと育つことは、自身がすくすく老いていくことを実感させる意味で、人間を成熟あるいは腐熟させるために大自然が仕組んだ見事な教育トリックなのかもしれない。
 孫に手を取られ、その柔らかさによって、私はまた少しお爺さんになった。あと二三人孫に手を取られたら、加速度的に老いて、白骨化しそうな気もする。ひ孫が六人もいて、間もなく七人になる老母のバイタリティーを思うと、この生きものは化けものではないかと思ったり。
 いや、もう止めとこう。寝なくては。





テーマ:

 ようやく肝臓疑惑に一区切りついたので、今日は整形外科で鎖骨問題をやるつもりだったが、また新たらしい問題が発生してしまい、車夫の元締め拠点へ行かざるを得なくなった。私を小さな駅から追い出したがっているやつらが再び圧力をかけてきたので、裏の方から圧抜きしておこうと企んだので。どうもしつこく、面倒臭いので個人レベルで結着を付けてしまおうかと昨日は思いかけたが、グッと堪えた。なぜなら、せめて春が来るまで車夫をやっておきたいから。ここで大問題を起こしてしまうと、クビになりかねず、年も越しにくくなるし。
 この内情はけっこうややこしくて、企業の歴史や内部の組織的な事情があるらしく、簡単には説明しにくいが、私が勝手に紛れこんだ小さな駅はその企業の原点らしく、今も昔からの車夫たちが牛耳っているのだという。で、それは企業内のある組織に参加しているものたちで、伝統的なしきたりを今も守り続けているらしい。私みたいに、まだ正式採用にもなっていないひよっこが紛れこむなど以ての外の場所らしい。営業所長が言うには、「梅太郎さんがやっているのは、前例がないことですからね、そこんとこヨロシク」だそうである。しつこいが、若い所長なので、口調はちょっと軽い。
 とりあえず管理側から組織上層に話を通し、特例として認めるようにしてみるとのことで、私も「そこんとこヨロシク」と頼んだのだった。
 この件は車夫を辞めたくなる理由とは関係なく、無意味に凝り固まって可能性を放棄しているみたいなので、ひとつ風穴を開けてみよう、と思ったからやっていて、遊びのひとつではある。が、あちらはマジなので対応が難しく、上部組織が動く動機付けをするのもけっこうしんどい。が、プチッと風穴を開けてしまえば、新入りがどんどん紛れこむようになり、市場が活性化するから、生涯に二度と無いであろう新人車夫の時にやっておこうと考えたのだった。そんな狙いを誰も知らないが、企業の管理側には似たような問題意識があるらしく、所長以下のみなさんは私のフォローに尽力してくださる。ありがたいことだ。ま、経営を考えられるものなら、当たり前だけど。

 とりあえず裏工作を終え、スーパーで買いものして帰宅すると、すでに午後二時。明日も出動だから、今日はダラダラしなくてはと思い、ダラダラしながら晩ゴハンを作ったりした。今晩は、やる気がない日の定番、豚の生姜焼き千切りキャベツ添え。ツマミは鴨の燻製ロースと野沢菜とほうれん草と梅とちりめんじゃこの和え物。やっとほうれん草がお安くなったのでたっぷり作った。香の物にカブの浅漬け。そして、白飯と、アサリとネギの味噌汁。夫婦二人分だけのため、材料の調達が難しいが、なかなか充実した晩餐だった。
 それから入浴する前にギター稽古をチラッとやったけど、気乗りせずスターダスト一曲だけで終わりにした。
 日が暮れて急に冷えてきたので、エアコンを暖房にした。
 焼酎を少し濃くして呑んだ。
 ソファに身を預け、昨夜の空を思い出した。
 冴えた半月が美しく、左上にやや大きめの星が瞬いていた。
 車を停めて一服する度に、コンフォートのトランクに寄りかかって、眺めた。
 月はきれいだな、と単純素朴に感動した。
 月星が輝く、夜闇も美しい。
 なのに、この地上に蠢く人間の闇は、どうしてこんなに醜いんだろう、と単純素朴に思った。
 まったく単純素朴な思いで、他にはなにも思わなかった。
 ソファに抱かれ、昨夜の月星を眺めていた。寒いから、もう外へ出て空を仰ぐ気にならなかった。文明の利器は私を怠惰にしている。スウェットの上になにか一枚羽織って、数歩あるいて玄関なり窓を開け、猫額へ出て、首をわずかに傾ければ本物の夜空があるが、そうする気にならなかった。暖房の効いた屋内で、バーチャルな記憶の中の夜空を再生して眺める方が快適だから。

 明日も早朝出動なので、このくらいにしておこう。ただ、ちょっと明日は知恵を働かせる必要があり、どういう方向性にするか迷っている。たぶん、その時を迎えるまで結論は出ない気がする。考して人間が思い惑っていても、月星は煌々と輝き、夜闇は美しい。人間はつくづく阿呆なんだな、と思い知る。古の中国詩人のように世界を眺めてぼんやりしたいなぁと、今は寝床に片足を突っこみつつ心底思う夜である。




Ameba人気のブログ

Amebaトピックス