依存症。 | 境界線型録

境界線型録

I Have A Pen. A Pen, A Pen Pen Pen.

 あ~!日本女子負けてしまった。もう女子に頼るしかないのに。まあ、しかたない。

 ケータイが消えた!と次女が騒いだ。昨夜帰宅した途端のこと。
 どうしたと問うと、風呂に落としたという。なぜ落としたと問うと、お風呂でメールを読もうとして取りこぼしたのだという。なるほど、理に適っている。風呂にケータイを持っていくなと助言したら、あっそうかぁ!と喜んだ。

$新・境界線型録-1106sora

 今朝起きると次女の姿がないので、妻に問うとケータイの修理を頼みに行ったという。乾けば治るんじゃないかと思ったが、以前からボタンが取れただの塗装が禿げただの騒いでいたから、新品そっくりさん計画に出たなと思った。
 午過ぎ、次女が帰ってきて、「オッポー(わが家では父上様の意味)、バッテリーがソフトバンクのお客様サービスだから電話しないとケータイできないんだって」と意味不明の叫びを上げた。
 要はバッテリーを無料で手に入れるにはお客様サービスセンターに契約者本人が電話しないといけないと言われたらしかったが、「おまえのケータイはディズニーだから、ソフトバンクじゃないぞ」と告げるとキョトンとした。仕方ないのでSBのお客様サービスセンターに電話すると案の定、会社が違うのであちらに電話してくださいと異様に慇懃な返答をいただいた。SBショップの担当がその意味がわかっていなかったのだろう。一応教えておかないと可哀相だから店の担当に連絡して指導し、最短最速で手続きを終える方法を調べさせ無事ミッションを終えた。
 こういう間抜けなサービスだらけなので疲れてしょうがない。
 そもそもあの自動音声案内というのが腹立たしい。いろんなオプションを音声で告げ何番を押せと催促する。音声認識に時間がかかり仮想オペレーターが話し終わるのを待つしかなく時間がかかる。いくつものオプションを提示して選択せよ、と言うのは平面的コミュニケーションでやるべきことだろう。少々コストが上がっても人間にやらせろと言いたくなる。その方が雇用もできるのだから。

 それは良いとして、ケータイの修理に1~2週間かかるらしい。次女は顔面蒼白である。
 ケータイ依存症なのだ。ケータイ無しではどうやって生きたら良いかわからない。私が仕事さえやらなくて良ければケータイなんて持たないというと、「信じらんなーい、変態オヤジッ」と言う。
 そう。人生はケータイである。ケータイで友と繋がり、ケータイで音楽を聴き、ケータイで情報を得、ケータイでゲームをし、ケータイで……後は思いつかないので端折るが、なぜか若者にとってケータイは必需であり神器のひとつ。

 思えば、われわれは誰も彼も何かしら依存症を抱えている。
 私など煙草、酒、稽古、チャンポン、湯麺、糠漬け、キクラゲ、梅干し、塩昆布、腹巻き、4色ボールペンなど色々依存している。辛うじてケータイには依存していないが、明らかに、奪われてしまえば禁断症状に見舞われ暴れてしまいそうなものが幾つかある。
 人間というのは、概ね依存している。と言うか、生命というのは、依存する故に存在する。この世に依存せずに生命を維持できるものなどなにもない。
 そもそも依存するのが生命なので、娘を虐める気にはなれない。厳しく脅しはするけれど、依存を批難するのは誤りだろう。依存して良いのだ。それが生命というものなのだから。

 良く自立と言われる。大人は自立しなきゃいけないとか。自立は立派なことだと思われている。が、自立していると豪語する人間が、自律できていなかったりする。生命にとって重要なのは、自立ではなく、自律。
 依存を自律すれば、なんら害はない。私は大いに依存すべきだと思う。依存対象がケータイというのは情けないけれど、そんな依存などたかが知れている。目くじら立てて騒ぐほどのことでもない。大切なのは、依存する娘がヘンな方に走らないように自律できるだけの「尺度」を与え得ているか否か。私は自信があるので、ケータイ依存など心配することはなにもない。むしろ怖ろしいのは外部との接続が断たれたことに気がつかないことだろう。

 今夜も私は依存した。酒に煙草に風呂に極太男箸に糠漬けに車に黒酢ドリンクにもこもこスリッパにシーザーの尻尾に。みんなみんな依存。私は依存症で生きている。自立などできない。
 唯一できることと言えば、自律だけ。これ、教育の根本目的だろう。

 稽古していても、ひしひし感じる。人間は自立できないし、自律できていない体も少なくない。自律不可の性質は末端に現れる。それが表れると、自立できず依存する。
 これ、和術の極意といっても良い。