パイナップルVSニンニク。 | 境界線型録

境界線型録

I Have A Pen. A Pen, A Pen Pen Pen.


 一日遅れのスーパー録。
 スーパーストアに一歩足を踏み入れると、血湧き肉躍る。
 あれも買いたい、これも買いたい。財布をすべて解体する勢いで買いたい。
 逸る気持ちを抑えて、しばし果物売り場に滞る。
 林檎、蜜柑、バナナ、柿、グレープフルーツ、オレンジ、キウイ、マンゴー、etc.
 陳列台から溢れだす色色色。
 梶井基次郎が目にしたなら、どんな名シーンを描いただろう、と想像する。
 果物の彩りはなぜか気持ちを落ちつかせてくれる。普通、激しい色彩の氾濫は気分を高揚させるものだけれど、果物のそれは穏やかになる。香りのせいだろうか。それとも、隣に控える野菜たちの落ちついた緑が目に入るせいだろうか。
 ひと渡り店全体を眺めやると、目の端に小さな浅黄色のとげとげした固まりが映った。
 パイナップルだった。



 パイン・アップル。パインというのだから松の仲間だと思っていたが、以前、住宅の仕事をした時調べたら、松とは別のパイナップル科だと知り安心した。
 松の仲間だったなら、あの芳香のある甘酸っぱい果実は、松ぽっくりなのか、と考えざるを得ない。姿形は似ていても、どうも中味が違う。松ぽっくりは子どもの頃、何度も解体したことがある。あのかさかさを剥くとなにが出てくるのか、気になってならない。見ていれば、どうしてもかさかさを剥きたくなる。が、剥いたところで、なにも出てこないのでガッカリした記憶がある。
 サービスの悪い松ぽっくりに比べ、パイナップルはサービスが良い。かさかさ風に見えるのは実はかさかさではなく、いぼいぼで、グリッと皮を剥けば、黄金色の果肉が現れ、果汁が芳香とともに迸り出る。ゴージャスそのもの。
 子どもの頃、パイナップルは缶詰製品だと信じていた。宮城の山奥では見たことも食べたこともなかった。東京に来て初めてパイナップルという輪っかになった食いものをいただいた。小学校の同級生の誕生日だった。都営住宅に暮らす友人の家。オヤジさんは鳶だったと思うが、東京人はなんて洒落た生活をしているのだろう、とうっとりした。
 父に強請ってパイナップルを買ってもらうと、缶詰だった。缶切りでペコペコと蓋を開けると、黄色い輪っかが現れ感激した。
 初めて実物の果実を目にしたのがいつだったか記憶はないが、そのグロテスクないぼいぼの中に、あの芳香のある甘酸っぱい果肉が隠されているとは思いも寄らなかった。
 まったく、果実は見かけによらないものである。

 果物売り場で時を過ごしすぎた。急ごう。
 パイナップルが98円だったのでつい籠に放りこみ、野菜売り場に歩を進めると、ニンニクが目についた。なにを隠そう、私はニンニク愛好家なのだ。臭いものは胃に収めろを数ある座右の銘のひとつとしている。
 ニンニクを納めた段ボール箱がふたつ並んで陳列されていた。どちらも白い網に、二玉のニンニクが入っていて、価格もどちらも98円。
 なにか違うのだろうか、とプライスカードを見ると、左は青森県産の割れニンニクと書いてあり、右は中国産と書いてあった。そういえば、若干右の方が玉が大きかった。 
 わが国でニンニクと言えば、青森。和漢三才図会にも、奥州津軽のニンニクは直径2寸もあるとか記されているらしい。大きければいいと言うものでもないが、小さいよりはえらい気もする。
 ふたつの98円のニンニクの前で、私はしばし悩んだ。
 買うべきか買わざるべきか。あの青森ブランドのニンニクが98円で手に入る。しかし、右の中国産の方が大きくて食べ応えがありそうだ。そもそも、ニンニクのブランド性に価値は認め得るものか。
 これが松阪牛と輸入牛だったりするとわかりやすい。どうしても食いたくて懐が寒くなければ松坂を選べばよいし、懐が寒いなら輸入物にすればいい。ま、自分で肉を買う気はしないが。
 ところが、今眼前に提示されたニンニクはいずれも98円。左は割れニンニクでやや成長してしまっている。消費期限は短そうだ。対する右は粒が絞まっているわりにやや大玉で、ガツンと食えそう。難と言えば右は近頃憎らしい中国産という点。中国製品不買運動をしても良いけれど、けっして豊かではない家計としては、そうもいかない。
 青森ブランドの割れニンニクには、98円の賞味に値する価値は有りや無しや。
 これは難問だった。悩みに悩み立ち尽くしていたら、ニンニクを買いたかったらしいオバサマに押し退けられた。

 それだけのことだが、同じ98円のニンニクの間に厳然として引かれている境界線に思い悩む。そもそもパイナップルの数十分の一くらいしかない大きさのくせに、パイナップルと同じ98円というのが納得いかない。

$新・境界線型録-pineapple

 少年の日に憧れていたトロピカルフルーツの代表が、二玉のちっこいニンニクと同じ価格。栄養価は同等なのだろうか。食いものの価値は、味や食感は勿論だが、含有成分やそれが人体にもたらす恩恵などなどで決まると思うが、その尺度はプライスに反映しているのだろうか?もしかして、空虚な付加価値ばかりが価値の尺度になっているのではないか。人の手になるデザインものでもないのに。
 などと、悩んだのだった。
 また長くなった。このくらいにしておこう。