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境界線型録

I Have A Pen. A Pen, A Pen Pen Pen.


 ちょっと多忙でテキスト放りこみが捗らない。ま、先が長そうだから良いか。

 宮里藍ちゃんの優勝報告を目にしつつ、ぼんやり軸ということが頭に浮かんだ。
 軸というのを気にしだしたのは二十代後期で、ゴルフに手を染めた頃だったが、居合や合気道をやりだしてから、その軸という観念がまったく変質した。
 まったく、わかっていなかった、ということがわかってきた。
 もう、ゴルフはあまりやる気がないからどうでも良いのだが、彼女は軸なるものをどう見ているんだろう、と気になった。



 自身は、わかっているのか、わかっていないのか、わからないが、二十年前と質がまったく変わった。解釈が変わった、というか、感覚が変わった。十年前とも違うし、去年とも違う。
 いつも思うのだが、なんとなくこの世に溢れている物皆すべてが、核から離れた円周軌道を、それも軸が無自覚にふらふらずれる軌道とも呼べない軌道上を、くるくる回っているようだなぁ、と感じたりするせい。
 しかも、遠心力があり、少しずつ核から離れていく。
 民主党を見ていても思う。民衆が民主党に何かしらの核を見出したから支持し、政権交代という偉業を実現したけれど、民衆が見ていた核が見えなくなったので、こうなった。
 菅さんもいいが、核さんが問題ではないか、と。
 そうこうする内に、回転軸を見失い、回転軸がずれ、核を喪失する。

 合気道で回転する動きを見ていると、軸がないことが多い。
 軸があると思って回っているらしいが、軸がないことが多い。
 回るのだから軸はあるはずだが、ずれる。意図的にずらしているなら、一本の軸がある回転になるが、ほとんどない。
 軸は、固定されているわけではないが、常に安定した一点にある。回転は複層的になるが、必ず軸がある。
 近頃、回転、円転、円相というような意識に、分裂が起きてきた。
 今のところ、核は天地に立つ一本の垂直な線だが、軸は自在に変動する。もっとも、まだ頼りなく、ふらつく。が、ふらつきに気がつくだけでも、進歩している。ダメなこと、できないことに気づき得ることが、最高の学習なので嬉しい。

 核、軸。
 それをずっと探していたのか、とうっすら感じる。
 とすれば、そこに故郷があるのか。Volver, Volver
 一歩ずつ、原点に帰って行けているような気もする。幻想でなければ。