高橋是清は1854年(嘉永7年)生まれ、1936年(昭和11)没。 渋沢栄一は1840年(天保11年)生まれ、1931年(昭和6年)没。

 

嘉永生まれ

嘉永元年(1848年 - Wikipedia

嘉永2年(1849年): 西園寺公望(第2代立憲政友会総裁、第12・14代内閣総理大臣

└→広岡浅子(ひろおか あさこ、廣岡淺子)…1849年10月18日嘉永2年9月3日) - 1919年大正8年)1月14日

嘉永3年(1850年): 清浦奎吾 (枢密院議長、第23代内閣総理大臣)

嘉永4年(1851年 - Wikipedia

嘉永5年(1852年): 寺内正毅(第18代内閣総理大臣)、明治天皇(第122代天皇山本権兵衛(第16・22代内閣総理大臣)

嘉永5年12月20日1853年 - Wikipedia 1月29日) - 北里柴三郎医学者細菌学者(+ 1931年

嘉永6年(1853年 - Wikipedia):徳川昭武、第11代水戸藩主(+ 1910年

嘉永7年(1854年): 高橋是清(第4代立憲政友会総裁、第20代内閣総理大臣)
 

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1922年7月22日、高峰譲吉が亡くなりました。 消化酵素である「タカジアスターゼ」の発見や、止血剤としての「アドレナリン」の抽出結晶化に成功し「サムライ化学者」とも呼ばれます。 その後は、理化学研究所を創設、三共製薬の初代社長に就任するなど、化学で日本が世界に劣らないよう尽力しました。

 

高峰 譲吉(たかみね じょうきち、嘉永7年11月3日[1]1854年12月22日) - 大正11年(1922年7月22日)は、日本化学者実業家工学博士及び薬学博士タカジアスターゼアドレナリンを発見し、アメリカ合衆国で巨万の財を成した[2]。日本人による開発型ベンチャー企業・スタートアップの先駆者とされる。理化学研究所の設立者の一人。1912年帝国学士院賞受賞、1913年帝国学士院会員。

現在の東京大学工学部の前身の一つである工部大学校卒。

 

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令和5年7月

Twilog>〔2023年07月20日(木)

 

参照

平成30年(明治151年)BLOG

/19世紀生まれが「いなくなった」のはいつか/

 

令和2年BLOG

/幕末の人物、文政生まれ、天保生まれ、弘化生まれ、嘉永生まれ、慶応生まれなど/

 

/渋沢栄一が生きた91年間と没後の90年間/

 

/明治元年当時、存命だった人が生まれた時代の元号/

 

/世界最高齢の田中カ子さん119歳/

 

明治まで生きた人が生まれた時代の元号2/

 

約90歳まで生きた人の生没年の元号比較/

 

葛飾北斎の生きた時代(宝暦~嘉永)/

 

/日本の首相が生まれた時代の元号、令和4年tw/

 

慶応以前に生まれた人(江戸時代生まれ)が全滅したのはいつか

 

令和5年BLOG

あと4年で「100年前が昭和」になる…その事実に驚愕する皆さん