平成30年tw
「内閣の元号」では何故いけないのか、「保守派」の主張の根拠がはっきりしない。
>保守派は…事前公表では『天皇の元号』ではなく『内閣の元号』になる」と主張してきた。
 
象徴天皇制のもとでは元号は「天皇の元号」ではなく「内閣の元号」だろう。もし「天皇の元号」であれば、「保守派」は天皇の生前退位の意図が「元号の事前公表」だとは認識していないのか?
 
政府でなく天皇による帝政を望む意見も出たか。明治維新150年の新たな「王政復古」、そして真の「大日本帝国」の実現を国民は望むのか?
 
いわゆる「保守派」は「天皇の在位期間と元号の一体性」を理由にして元号の事前公表に反対しているようだ。これに対し「一世一元は明治以降の制度でわずか150年の歴史」だという反論があるが、それでは同じ天皇の時代に元号が何度も変わった時代の方がよかったのだろうか?
 
「天皇の元号」と「内閣の元号」、どちらがいいか。幕末の日本では孝明天皇が在位していた21年弱の間、弘化→嘉永→安政→万延→文久→元治→慶応という風に頻繁に元号が変わった。天皇1代で1元号という明治以降の「一世一元」の制度の方が遥かに「まし」だった。(続く)
 
(続き)一方、江戸時代に「幕府の元号」は存在しただろうか。例えば江戸時代初期、後水尾天皇は2回改元しており(慶長→元和→寛永)、2度目の改元(元和→寛永)は徳川家光の将軍就任の翌年に行われ、次の明正天皇の時代には「寛永」が使われ続け、改元が行われなかった。(続く)
 
(続き)また、江戸時代中期の「正徳」と「享保」はどちらも中御門天皇の時代に始まった元号で、「享保」は徳川吉宗が将軍になった年に始まっており、この時、天皇は交代していなかった。つまり改元が天皇以外の政権(幕府、政府)の都合で行われた場合でも「余計な」改元が増えていた可能性がある。(続く)
 
(続き)明仁天皇の即位から平成30年まで、首相は竹下→宇野→海部→宮沢→細川→羽田→村山→橋本→小渕→森→小泉→安倍→福田→麻生→鳩山→菅直人→野田→第2次安倍という具合に頻繁に後退した。もし首相の交代のたびに改元されていたら大変だっただろう。この場合は「天皇の元号」でよかったことになる。
 
江戸時代末期、孝明天皇の在位期間に元号は弘化→嘉永→安政→万延→文久→元治→慶応という風に6回変わったが、将軍は家慶→家定→家茂→慶喜の4人だけで、この場合は実際の元号より将軍の在職年数で数えた方がまだ「まし」だった。
 
令和5年tw
 
家光の時代の寛永、吉宗の時代の享保、家斉の時代の寛政などは天皇より将軍の元号になっている。 もし東京時代の日本で首相交代のたびに改元されていたら、一世一元の場合より、もっと元号が使いづらくなっていただろう。 
【画像】江戸時代の元号と天皇即位年と将軍就任年(ページ下参照)
 
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平成30年BLOG
2018-11-26 02:52:08
 
令和3年BLOG
 
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【平成史】日本の総理大臣

江戸時代の元号と天皇、将軍

 

 
2019/3/1  15:49
 
【画像】西暦1770年(明和7年)から2020年(令和2年)まで、西暦と元号と天皇の在位年数の対照表

【画像】江戸時代の元号と天皇

【画像】江戸時代の元号と将軍

【画像】江戸時代の元号と天皇即位年と将軍就任年

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【画像】孝明天皇何年

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【画像】日本の平成の首相:小渕内閣が前期、森内閣から中期

 

【画像】日本の平成の首相:小渕内閣を中期にした場合

【画像】日本の平成の首相、3分割:竹下~森、小渕~麻生、鳩山~安倍

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