明治以降の「一世一元」を江戸時代末期に当てはめてみたらどうなるか。つまり光格天皇在位中の元号「寛政」「享和」「文化」を「天明」に換算、仁孝天皇在位中の「天保」「弘化」を「文政」に換算、孝明天皇の在位期間の「安政」「万延」「文久」「元治」「慶応」を「嘉永」に換算したらどうなるか。
6:31 - 2018年11月8日        
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「次の元号を次期天皇(皇太子)に決めてもらって、公表してもらおう」と思っている人もいるようだ。こうなると元号が「皇帝が時間を支配するための制度」だった時代に逆戻りだろう。孝明天皇の在位期間に弘化→嘉永→安政→万延→文久→元治→慶応という風に元号が頻繁に変わった時代の方がいいのか?
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「天皇の生前退位は天皇が国民のためを思った結果」とする見方があるが、この解釋だと、天皇が「崩御による改元は国民に迷惑がかかる」と考えていることになる。つまり天皇自身が元号制度を否定したことになる。(続く)
 
(続き)おそらく「保守派」は「天皇が元号の事前公表を命じた(天皇自らが元号制度を批判した)」とは認めないから、「譲位希望は元号の制事前公表を意味していない」という見方で、「新元号公表は新天皇即位当日または即位後にすべきだ」という主張をしているのだろう。(続く)
 
(続き)もし、天皇自身が改元の時期を独断で決めて、次の元号もあらかじめて公表したら、多くの民衆は喜ぶだろうが、これは国民(政府を含む)でなく皇帝(天皇)が元号を決めていた古い時代への回帰を意味する。民衆がそれを望むのは民主主義の敗北である。(続く)
 
(続き)昭和→平成の改元は戦後の日本国憲法下での最初の改元で、元号が天皇でなく政府(つまり国民)の手で決められたことを意味する。その国民が「自分たちで元号を決める権利」を捨てて、天皇による改元を望むのは大日本帝国への逆戻りを意味し、戦後史の否定につながる。(続く)
 
(続き)もし、天皇が元号の名称、改元時期、公表時期を決めるようになったら、それは江戸時代への回帰となる。孝明天皇(1831~1867)が1846年(弘化3年)に即してから崩御するまでの21年間、元号が弘化→嘉永→安政→万延→文久→元治→慶応という風に頻繁に変わった時代の方がよかったのだろうか?
 
天皇の在位と元号の期間の「一体不可分性」をなぜ守る必要があるのか、所謂「保守派」がきちんと国民に説明しているのか?もし「一世一元」が破られると、江戸時代以前のように同じ天皇の代で何度も改元された時代に戻る恐れがあるからだろう。
 

20:53 - 2019年(平成31年)3月2日

 

 
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関連語句
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孝明天皇 @kyojitsurekishi<画像>(twitter)

参照
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文政元年から明治元年までの50年と昭和43年から平成30年までの50年、元号と天皇