【壱】シーボルト事件

1828年、闇の会でシーボルトが標的となり、鶴が長崎に向かい、別の刺客を鶴が撃退したが、シーボルトはシーボルト事件(1828~29)によって国外追放となった。

中村主水は高橋景保(演:前田吟)の獄死を見届け、景保の弟・市兵衛(演:近藤正臣)、千葉周作、加代、鶴、清吉(演:誠直也)、慎次(演:高良隆志)と組み、事件の黒幕だった国学者・室田静軒(演:荻島真一伊勢屋三左衛門(演:綿引勝彦一派を倒した。これ主水は景保と景保の娘・弓栄(演:川上麻衣子)のかたきを討った1990『春雨じゃ、悪人退治』)。ここで蘭学者が被害者で、国学者が悪人だった。当然、開国派が被害者で、攘夷派が悪人であった。シーボルトの鳴滝塾で学んだ蘭学者に高野長英二宮敬作伊東玄朴、小関三英(こせきさんえい)、伊藤圭介らがいる。幼いころの鳴滝忍がいたかどうか不明。
 
【弐】蛮社の獄~天保の改革
1832年、鼠小僧が処刑され、からくり人一座が救い出したが、やはり次郎吉はすぐ他界。なお、28年後の1860年に鼠小僧の妻が仕事人に仕事を依頼した(1991『仕事人・激突!』)。
1833年、秀が裏稼業の方で、江戸と日本各地を往復し、出張仕事をしていた。大坂に大塩平八郎がいた模様(1986『まっしぐら!』)。

1837、大塩平八郎の乱、モリソン号事件

1839年の蛮社の獄により、高野長英と渡辺崋山は投獄され、小関三英は自害。
からくり人の一人・夢屋時次郎(演:緒形拳)が鳥居耀蔵を狙撃しようとしたが、失敗して、時次郎は爆死(1976『からくり人』)。からくり人一座は壊滅。
やはり敵と戦って爆死したかに見えた仕掛の天平は生き残っていたものの、再び爆死(1982仕事人大集合』)。この時、敵に捕らわれた勇次を助けた棺桶の錠(演:沖雅也)はアヘン戦争終結の年(1842)に、おりく、勇次と再会。
天保の改革の時期、歌舞音曲の禁止で三味線屋の表の稼業も弾圧された。中村家でも、せんとりつが三味線弾きを呼んで踊っていたが、帰宅した主水がやめさせた(鳥居失脚後は解禁)。
1840~41年、アヘン戦争。アヘン戦争は南町奉行所でも中村主水と上司の間で話題になっていたが(『仕事人・激突!』)、これが1840年代初めだったかどうか不明。「第2次アヘン戦争」と呼ばれるアロー戦争(1856~60)の可能性もあるか。
1842年、アヘン戦争(第1次)が終わった時、中村主水、勇次、秀、加代、順之助は平賀源内(高野長英ではないか?)の作った気球で香港に渡り、仕事をしていた(1983『仕事人アヘン戦争へ行く』)。源内は1779年に獄死したはずだが、実は生きていたという設定。なお、アヘン戦争の時期、牢にいた蘭学者は高野長英であった。
勇次、おりく(演:山田五十鈴)が、天保改革によって、直接、受けた影響は作品では目立たなかったが、泣き節お艶(延:山田五十鈴)の一座が長英脱獄の時(1844)に江戸から追放された(1977『新からくり人』)。長英も蘭兵衛と名乗って一座に参加した。
 
元津軽藩士の太棹の新之助(演:田村亮)も鳥居を妻の敵と狙っていた(1990『オール江戸警察』)。
鳥居による仕事人狩りで闇の会は存亡の危機。1842年に他界した矢部駿河守が闇の会の元締に仕事を依頼。主水が依頼を受けた。

 

1843、花火の玉屋から失火。
この時期、裏で活動していた鳴滝忍は女医で渡し人だった(1983『渡し人』)。
楠本イネは1827年生まれで、1843年当時、数え年17歳。鳴滝忍は40代以上に見えたので、忍はイネではなかっただろう。
1844、高野長英が脱獄し、「蘭兵衛」と名乗って一座に参加した(1977『新からくり人』)。一座は安藤広重の依頼で裏家業の旅に出た。
中村主水、太棹の新之助、加代、鶴、平田深喜(演:滝田栄)が鳥居一派を仕置(1990『オール江戸警察』)。幕府はこれを隠蔽し、建前は解雇ということにした。時次郎と新之助が鳥居を襲って失敗したが、主水が鳥居を失脚させた。
天保の改革で、あらゆる娯楽が弾圧されたが、鳥居の失脚で、中村家では自由に音楽や踊りを楽しむことができるようになった。
『新からくり人』(1977~78)最終回で高野長英は顔をブラ平に焼いてもらって人相を変え、江戸に戻った。『からくり人・富嶽百景』(1978)で、お艶一座はメンバーを変えて葛飾北斎の絵をヒントに旅に出た。最終回で葛飾北斎が絶命。1849年の北斎の死は映画『主水死す』(1996)でも描かれた。
1850、長英は捕り方にかこまれて絶命。この時、南町奉行は遠山金四郎。
その後、水野忠邦も主水によって暗殺された(1996『主水死す』)。忠邦の没年は1851。その後、主水は小屋の爆發とともに行方不明となった模様。
 

【参】黒船来航~安政の大獄~桜田門外の変~浪士組

高野長英は1850年に没したが、その弟子だったのが糸井貢(演:石坂浩二)。
1853、黒船来航の時、糸井貢は村雨の大吉、北町奉行所同心・中村主水と組んだ(1974『仕留人』)。貢の武器は、当初は三味線の撥(ばち)で、泣き節お艶やおりくと共通していた。
攘夷派が囚人を大筒の試し打ちの的にする非道を行い、主水たちが攘夷派を仕置(第2話「試して候」)。
1854、今度は開国派の幕臣が仕置の的になり、貢は一瞬の迷いを突かれて殉職。仕留人は解散。日米和親条約が締結され、横浜で主水が警護に当たったらしい(最終回「別れにて候」)。
1858、安政の大獄。シーボルト事件から30年が経過していた(シーボルトは1859に再来日)。南町奉行同心・中村主水は加代と再会(1987『仕事人ワイド』)。広重はこの1858年に没したが、その直前、爆發事故の現場を写生し、主水に見せていた。
1860、桜田門外で主水が井伊大老を暗殺。鍛冶屋の政、加代も協力。かげろうの影太郎による問いかけは糸井貢の抱いた疑問に近かった。
1863、清河八郎(演:滝田栄)が浪士組を結成。今度は松平主税介(演:中尾彬)の一派によって、またも複数の人間を大砲の的にした試し打ちが行われ、主水、政、清河、朝吉、加代が試し打ちの首謀者一派を仕置(1990『横浜異人屋敷』)。

 

中村主水主水は三味線屋、蘭学者との関りが多く、攘夷と開国のはざまで揺れる時代に活動していたことになる。
もっとも、シーボルト事件の時の中村主水と天保の改革の時の中村主水と浪士組参加の時の中村主水は別人であろう。
浪士組に入った時、中村主水は奉行所勤続22年だったが、1863年から22年前は1841年、天保の改革の時代だった。一方、天保の改革の時、鳥居の配下にいた仕事人・主水(仕置屋ではない)は当時の時点で奉行所勤続23年であり、鳥居が失脚した1844年から23年前は1821年、文政年間であった。『仕事人2009』によると文政4年(1821年)当時、主水は自身番に勤務していた。
 
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関連語句
攘夷 開国 [2]〕
 
参照
シーボルト事件と仕事人・壱~渡し人・鳴滝忍との関係

 

シーボルト事件と仕事人・弐~シーボルト事件の真相

 

井伊直弼と坂本龍馬、仕事人と攘夷派と開国派

 

尊王攘夷派と開国派、勝者はどちらか

 

『暗闇仕留人』最終回に関する疑問点・追加


T-CupBlog>「必殺シリーズにおける攘夷と開国

2014/7/29  20:14

 

T-CupBlog>「時代劇で描かれた江戸時代における鎖国と開国

2014/8/1  16:06

 

鎖国」関連tw(2013~2014年

 

鎖国と開国について追加

 

必殺シリーズの歴史観による歴史3(1850年代~1870年代)