幕末は尊王攘夷と開国の対立だったが、できあがった明治政府は尊王開国の政府であり、幕末の論争がいかに視野の狭い二者擇一だったかわかる。
龍馬は懐疑には懐疑的だったようで、倒幕派の志士が集まった論議の中でも浮いていたのではないか。
龍馬は懐疑には懐疑的だったようで、倒幕派の志士が集まった論議の中でも浮いていたのではないか。
西郷隆盛が征韓論を唱えて否定されて下野したとされるのは誤解のようで、西郷隆盛は征韓論を主張していないようだ。このことは『翔ぶが如く』で説明されている。
すると幕末の倒幕運動が尊王攘夷だったはずなのに、尊王開国になったので、攘夷派の士族の不満がたまり、その後の廃藩置県、廃刀令をへて明治維新が「理想と違う」と感じた士族たちが反乱を起こし、西南戦争になったとも考えられる。
すると幕末の倒幕運動が尊王攘夷だったはずなのに、尊王開国になったので、攘夷派の士族の不満がたまり、その後の廃藩置県、廃刀令をへて明治維新が「理想と違う」と感じた士族たちが反乱を起こし、西南戦争になったとも考えられる。
例えば『獅子の時代』でも民主的な憲法草案が握りつぶされ、秩父事件が「自由自治元年」を旗印にしていたのもそうだろう。『水戸黄門』などは地方の問題を一々、中央の権力者が一時的に是正する場当たり的な政策の繰り返しで、「自由自治」を根本から否定している権威主義の時代劇ということになる。
幕末ものでは龍馬などの倒幕派が英雄視されるが、それでできた明治時代を扱った作品ではまた明治政府をどちらかというと強圧的な政府として描く作品が多い。
明治の日本が日清、日露戦争、日韓併合と進んだのは、結局、明治維新の路線変更(尊王攘夷から尊王開国)で行き場を失った攘夷派の不満が爆發した結果とも言えよう。
明治の日本が日清、日露戦争、日韓併合と進んだのは、結局、明治維新の路線変更(尊王攘夷から尊王開国)で行き場を失った攘夷派の不満が爆發した結果とも言えよう。
龍馬は政治権力を握る前に他界した。
維新の直後に病死した小松帯刀や、政治の場から去った徳川慶喜のほうが幕末ものでは悲劇のヒーローである。
維新のあとまで長く政府の中枢にいた大久保利通や伊藤博文のほうが、どちらかといえば憎まれ役である。
維新の直後に病死した小松帯刀や、政治の場から去った徳川慶喜のほうが幕末ものでは悲劇のヒーローである。
維新のあとまで長く政府の中枢にいた大久保利通や伊藤博文のほうが、どちらかといえば憎まれ役である。
しかし攘夷と開国は相反するようで、実際はどの国でも国防で脅威としている国に対し、外交の場では友好、経済協力を進めるという矛盾が観られる。
井伊大老と龍馬に対する評価の違いを観ると、結局、攘夷か開国かといった思想は重要でなく、井伊大老がおこなった強圧的な政治が敵視されたのではなかろうか。
井伊大老と龍馬に対する評価の違いを観ると、結局、攘夷か開国かといった思想は重要でなく、井伊大老がおこなった強圧的な政治が敵視されたのではなかろうか。
これについては享保の改革を後押しした大岡忠相が「名奉行」で、それに反抗的だった徳川宗春が「悪玉」とされ、天保の改革では改革を後押しした鳥居耀蔵が「悪玉」、それに反抗的だった遠山景元が「名奉行」という「ねじれ現象」にも見られる。