中村主水と仕事人、シーボルト事件(文化・文政)
仕置人、仕事人中村主水と同世代(1)(2)『2007』『2009』、シーボルト事件(1)、(2)年表

文化・文政時代の仕置人、仕事人・その弐~シーボルト事件と仕事人~(『必殺スペシャル・春「勢ぞろい仕事人!」春雨じゃ、悪人退治』)
1819年、中村主水が外国人を救ったことでオランダ商館から表彰された(『必殺仕事人V・旋風編』)。 
1820年ごろが舞台の『裏か表か』では主水の仲間は『仕事人V・激闘編』の鍛冶屋の政、組紐屋の竜、加代、壱、参に『仕事人IV』の秀も加わっている。組紐屋の竜は殉職しているが、同名の仕事人が46年後の幕末に出現しており、同名の息子か孫であろう。主水の仲間が次々と死んだが、政と秀、加代は生き残った。
この年、主水が書庫番に移ったのはすでに書いたとおり。
 1823年、シーボルト来日。
 1824年、シーボルトは鳴滝塾を開いた。高野長英、小関三英、渡辺崋山は蛮社の獄の被害者で、長英はのちに「新からくり人」一座に参加。長英の弟子だった糸井貢はシーボルトの孫弟子にあたり、「仕留人」として主水と組んでいる。

 

 『はぐれ医者・お命預かります!』の相良淳道と『世直し順庵!人情剣』の河合順庵はシーボルトから医学を学んだらしい。
いずれも腕のいい医者だったが、秘密裏に殺人もおこなっていた。

 

 

 1825年、外国船打拂令が出た。

 

 

 一方、『ドラえもん』でもこの時代の史料があり、文政9年元日、つまり1826年の初め、陰暦の元日だから陽暦で1月終わり~2月ごろ、のび太の先祖で、農家の大地主(ただし、質素な生活)だったのび左エ門が金を壺に入れて埋め、巻物にその在処(ありか)を書き残した。しかし、これはのび左エ門から息子・のび作へのお年玉で、たいした金額ではなかった(「のび左エ門の秘宝」)。

 

 

 1826年は丙戌の年。『必殺仕事人2014』で寺の住職の墓に「丙戌」とある。江戸時代で丙戌年だったのは1646年、1706年、1766年、1826年。『仕事人2009』の時代設定は文政4年(1821年、辛巳)だったので、その5年後か。確かに2009年から2014年までも5年なので、放送時期の時間差と一致している。1826年当時の南町奉行は筒井和泉守政憲。1778年生まれの1859年没で、南町奉行在職は1821年から1841年まで。『必殺!5黄金の血』で砂浜に建てられた看板にあった奉行も「筒井泉守」のだ。後任は矢部定謙で、その次が鳥居甲斐守。

 


 『黄金の血(皿ではない)』では文政時代に主水の知り合いで、服部半蔵の子孫という服部孫太夫が出てくる。彼は地味な生活の役人のように見え、「新からくり人」一座のブラ平のような火吹き藝を披露していた。しかし、『影の軍団・幕末編』によると、当時の日本には服部半蔵という祖先そのままの名前の伊賀忍者が存在した。

 

シーボルトのむすめと渡し人・鳴滝忍
 1826年、シーボルトは江戸に渡った。
 1827年、楠本イネ誕生(1903年没)。『必殺渡し人』の女医・鳴滝忍はこのイネと似た境遇の女医だが、同一人物か、それとも別人かは、決め手はない。鳴滝忍の父親はオランダ人で、シーボルトはドイツ人という違いがある。
 だが、シーボルトがオランダ人のふりをしていた可能性もある。

 

 

 1827年、ジョン万次郎誕生。あの西郷隆盛もこの1827年または1828年に誕生(1877年没)。ただ、暦の関係で、史料によって生年は1827年だったり1828年だったりする(下注釋)。
 1828年、大黒屋光太夫没。万次郎も光太夫も不本意ながら異国に漂着し、鎖国の日本に帰国し、「異国から帰ったら死罪」との法が適用されずに、生き延びた。

 

令和6年pst

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