翠楊社の『はだしのゲン』戦後編III、「激動編」(1978)の巻末に中沢啓治の漫画『おれは見た』『永遠のアンカー』『いいタマ一本』が掲載されている。
『おれは見た』は『ゲン』の原型で、戦時中から戦後、作者の母の死去(1966)から5年後(推定1971年)までが描かれていた。
『いいタマ一本』『永遠のアンカー』の時代設定は1972年、戦後27年の時で、その時代から登場人物が1945年の原爆の悲惨さを語っていた。
『永遠のアンカー』では光二という被爆2世の少年が原爆症で倒れ、友人の金武勝が「二十七年もたっているのに」「こ こわいな…原爆は」と言っていた。
『いいタマ一本』では熊さん(姓は「大谷」か)という野球好きの男が「戦後二十七年たっても原爆の放射能をあびた者は…胃ガンや白血病の発生率がおおくてな、いまもつぎつぎと死んでいるんだ。この日本全国のどこかで…」と言っていた。
 
『いいタマ一本』における熊さんの台詞↓はそのまま『ゲン』で中沢啓治が訴えていたことと重なる。
「戦争は すべてのことに ばかなことが 平気でおこなわれることなんだ」「そして虫けらのように人間がころされていくのだ」「自衛隊だって戦争で人ごろしをおしえてるんだぞ」「戦争をはじめたやつらは、なん百万ところされた人たちの上にあぐらをかいて金をもうけて いきのび うまいものをくっているんだ」
 
ちなみに翠楊社の『はだしのゲン 苦闘編(戦後編I、II)』または市民社の「戦後編1」でゲンの母がABCCで標本扱いされたのは戦後3年、計算すると1948年当時である。
 
平成24年tw
中沢啓治「広島カープ誕生物語」「 いいタマ一本」
中沢啓治 カープ誕生」の検索結果 - Yahoo!検索(画像)
中沢啓治 いいタマ一本」の検索結果 - Yahoo!検索(画像)
 
平成25年tw
2013年09月27日(金)
@sankei_sunayama その場面は汐文社の「はだしのゲン」の単行本では6巻の11~12頁にありますが、汐文社の単行本の5巻冒頭から6巻前半までと同じ内容が収録されていた翠楊社の「はだしのゲン苦闘編(戦後編I~II)」では275~276頁です。
posted at 17:32:42
 
@yasushitamaki 汐文社の「はだしのゲン」全10巻のうち4巻までは1975年までに出て、76年以降に市民社や翠楊社(多分77年~)から戦後編が出て、一時期4巻までと戦後編で出版元が違っていました。その後1980年代に汐文社から戦後編が5~10巻として再発行されました。
posted at 07:13:56
@yasushitamaki 翠楊社についてはよく知りませんが、汐文社の単行本の7巻はゲンの母・君江が亡くなる話までで、ある意味で1巻から7巻までは君江の物語だったかも知れません。8巻で兄の浩二と昭が去り、9・10巻では名実共にゲン・隆太・勝子・ムスビたちが中心になっています。
posted at 15:44:49
 
なるほど。参考になりました。苦闘編は汐文社の単行本の5巻全話と6巻の前半までですね。
@dempax2012 @yasushitamaki #はだしのゲン
翠楊社ベストコミック版
苦闘編1977/5/1
激動編1978/7/15
激動編完結1979/7/15
posted at 16:20:18
 
@yasushitamaki 汐文社の「はだしのゲン」全10巻のうち4巻までは1975年までに出て、その後、市民社や翠楊社から戦後編が出て、一時期4巻までと戦後編で発行元が違い、その後、戦後編も汐文社から出すことになって、1980年代以降に5巻以降が出た…ということでしょうか。
posted at 17:32:29
なるほど。参考になります。ありがとうございます。
第6巻p.78迄『市民』連載p.79-p.114 書下ろし(『苦闘編』)
第6巻p.115〜第8巻p.91迄『文化評論』連載(第7巻迄『激動編』)
福間良明『「」がいた風景』より
 
平成26年tw
@SSY_GiFU @ikaryakuchan 「はだしのゲン」の汐文社の単行本5巻(中公文庫4巻、4年生のゲンが隆太、ムスビと再会し、勝子登場)以降は戦後編として市民社や翠楊社から出たこともありますが、その後、汐文社に統一されました。
posted at 01:45:04
汐文社の単行本5巻が出たのは1980年ですが戦後3年の放射能の恐怖は76年に市民社から、77年に翠楊社から出た戦後編に収録されてます。
@kenshimada 3.11後に「はだしのゲン」が阻害されはじめた理由がよく分かる1ページ。
posted at 04:40:49
 
平成28年tw

〔時浦兼@tokky_ura〕

やっぱり安倍シンパは安倍の真珠湾訪問を支持してるらしく、中にはオバマが広島に来たお返しだとか言ってるのもいるようだ。真珠湾は戦争で、広島は民間人虐殺、全く違う!!それを同一視するのは、米国の歴史観だ。安倍晋三、二年連続の年末歴史売国か!?

午後7:41 · 2016年12月5日

 

〔アスパラ@Destiny2&EDF5@disco_graphy〕

返信先:@tokky_uraさん

日本人による一方的な歴史観しか持たないのであれば、今後の日本は同じことを繰り返すだけ、相手の立場に立って考えられる思慮深さが今の日本には足りていないのだと思う。

午前6:54 · 2016年12月6日

 

@kyojitsurekishi

返信先:@disco_graphyさん,@tokky_uraさん

戦後の日本は与党支持者も野党支持者も改憲派も護憲派も米国の歴史観で洗脳されていました。被爆者も大半は終戦当時子供だったので真珠湾について説明できない世代で、前の世代が勝手に始めた戦争で自分たちは迷惑だったくらいの認識でしょう。

午前11:45 · 2016年12月6日

 

〔anamochi★あなろぐ餅米(怪獣漫画連載中)@anamochi_twit

返信先:@disco_graphyさん,@tokky_uraさん

同感。相手の立場に立って考えれば「原爆の動物実験ができるぞ」「ソ連その他に見せつけてやれ」という向こう様の本音が見えてきそうなものなのに

午後3:22 · 2016年12月6日

 

☆Chris台湾人☆さんのツイート
先、民視「最初の神風・海軍中佐・飯田房太氏」特番をやってる。大正2年生、昭和16年12月8日「蒼龍」の零戦21で真珠湾攻撃へ、カネオへ海軍基地突入し、散華。番組は「明治以来、日本軍人は屈辱に生きるよりも、寧ろ光栄に戦死と言う精神」を誉めた。こんな番組、なんか日本より日本だ、感涙!

0:18 - 2016年12月30日

 

この人は確か特攻隊員に選ばれて(=つまり、勿論志願では無い)、「日本は終わりだ」って言った人だったと思うけど。 自分は、体当たりなんかしないで爆弾を当てられるって。 その練度を捨てるのかって。

 

返信先: さん、さん

神風特攻隊は第2次大戦末期、日本の敗戦が濃厚になった時の苦し紛れの策だった印象ですが、真珠湾の時から作戦として有ったか否かよく知りません。

 

返信先: さん、さん、さん

1941年(昭和16年、民国30年)当時は30年前が1911年(明治44年、宣統3年)なので、幕末の志士や明治の士族の「尊皇攘夷」の精神が日本の兵士に受け継がれていたのかも知れません。

 

平成29年tw

/#はだしのゲン/の原型となった漫画「おれは見た」では、少年時代の中沢啓治が家族と一緒に防空壕に入り、中沢啓治の両親がこのような会話をしていた。 母・キミヨ「あんた このごろ まい日のようにアメリカの飛行機がおそってくるね」。 父・晴海「近くに呉の軍港があるからだ」。

/午後5:00 · 2017年5月2日/

 

/ほくほく蛙(かわず) =@寝ごと詩人さん (@hochockawazu) / Twitter/

この世界の片隅に」と広島㉛(江波その22 すずとゲン) - 蛙のねごと −広島の街編ー - /Yahoo!ブログ

/#広島 #この世界の片隅に #はだしのゲン #戦争 #原爆 #江波 #たんぽぽ #麦/

/午前9:10 · 2017年5月13日/

 

「おれは見た」によると、中沢啓治の長兄・康人は呉の造船所で働いていたことがあり、終戦後、広島市に戻ったらしい。「はだしのゲン」では、ゲンの長兄・浩二は予科練に志願し、やはり、敗戦の後、広島市に戻って、家族(江波に移っていた)と再会した。

/午後6:55 · 2017年5月2日/

 

「おれは見た」と #はだしのゲン で呉の空襲が少し描かれていた。作者の長兄は呉の造船所で働き、「ゲン」では呉空襲→ゲンの長兄が予科練に志願→岩国空襲と続き、その後、#この世界の片隅に の内容と少し関連する場面がまた出て来る。

/午前10:17 · 2017年5月22日/

 

平成30年tw

/#はだしのゲン/の作者・中沢啓治は、自傳漫画「おれは見た」で自身の生まれた時期を「昭和十四年三月」としており、「ゲン」の冒頭では「昭和二十年四月」と書き、戦後編では「一九四八年(昭和二十三年)七月広島市」のように西暦と併記にしていた。

/午前3:22 · 2018年8月6日/

 

/speakerさん (@speaker0916) / Twitter/

Hiroshima 

/#原爆/#atomicbomb/#はだしのゲン/#エノラゲイ/#b29/

/午前8:16 · 2018年8月6日/

 

おれは見た(I SAW IT) 

中沢啓治(Nakazawa Keiji)

/#原爆の /#広島原爆の日/#hiroshima/#хиросима/#august6/

/午前8:48 · 2018年8月6日/

 

/#この世界の片隅に

/#昭和20年(1945年)の7月になると軍港のあった呉が何度も米軍よる空襲を受けた。しかし広島は空襲を受けず、当時の人々は「広島は安全」だと思っていたかも知れない。#はだしのゲン では広島に住んでいた元の母・君江が逆に不安を感じていた。その不安は原爆投下という形で的中した

/午後4:34 · 2018年9月12日/

 

令和元年tw

:昭和20年から令和元年まで74年。 :1945年から2019年まで74年。

23:00 - 2019年8月6日

 
令和2年tw
ブロック塀が危険とされる。#はだしのゲン の作者の中沢啓治は昭和20年8月6日、ブロック塀のお陰で原爆の熱戦から守られたが、塀の下敷きになりかけた意味では危険だったわけだ。
平成26年/2014-03-03 21:21:00
 

個人的に「はだしのゲン」を読んで「江波」と「松江」を知った。呉(くれ)に軍港があって広島市に原爆が落とされる前に呉が米軍による空爆をうけていたことも「ゲン」で知った。

/『はだしのゲン』関連tw(2014年4月9日)/

午後0:58 · 2020年(令和2年)8月6日

 

原爆といのち (漫画家たちの戦争)』 手塚 治虫『ブラック・ジャック やり残しの家』他

(中沢啓治の『おれは見た』も収録されている模様)

午後9:54 · 2020年11月24日

 
令和3年tw
Ameba ブログ 
中沢啓治『永遠のアンカー』『いいタマ一本』【作品】
 2016-12-20 19:24:59
 
 
 
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前後一覧
〔2016年(平成28年、戦後71年、昭和91年)12月

 

関連語句
特攻隊
はだしのゲン [1] [2] [3] 中岡 中沢 』の単行本(タイトル検索) 
はだしのゲン [1][9](内容検索)
はだしのゲン(T-CupBlog)
中沢啓治 いいタマ一本」「中沢啓治 おれは見た」の検索結果 - Yahoo!検索

参照
はだしのゲン(戦後編)』の単行本(市民社、翠楊社、汐文社比較) 

2013-09-27 05:02:21


原子爆弾

テーマ:神宮寺コレクション

2020-08-09 21:25:24

 

2020年12月29日

真珠湾と原爆、続き

 

LivedoorBlog>【復刻版】「この世界の片隅に」と広島㉛(すずとゲン) - ひろしま街がたり