『はだしのゲン』の作者・中沢啓治氏死去から続き。
平成25年tw
@ik0822 @akihirohara 「はだしのゲン」は反戦漫画でありながら父親が息子を平気で殴る漫画でした。1960~70年代の安保闘争や学園紛争も機動隊でなく運動をしている側が暴力的で、その意味で戦後の反戦思想はどこか信用できませんね。
posted at 12:27:15/
『はだしのゲン』の中沢啓治作家亡くなる。韓国でも哀悼の声 - 韓国語への挑戦 - Yahoo!ブログ
中沢啓治は『はだしのゲン』で日韓併合の時の朝鮮人の悲哀も描いていた。
『はだしのゲン』の作中で朴氏が何度かゲンを助けていた。韓国人でも共感できるのだろうか。なお『ゲン』で朝鮮人名「朴」の読みが「ぼく」となっていたのは当時の慣習による。
そういえば「はだしのゲン」が描かれた1973年は金大中事件があった年で、これは日本では「きんだいちゅうじけん」だった。朴正煕大統領の時代に日本人が朴氏をどう呼んでいたか覚えていないが当時の日本人は「ボクセイキ大統領」と呼んでいたんだろうと思う。
日本での朝鮮人名の呼び方、読み方 - 漢字論原点回帰II - Yahoo!ブログ
「はだしのゲン」を初めて観たとき、朝鮮人の朴さんという人が出てきて、これが「ぼく」という読みだったので、一人称の「ぼく(僕)」が名前になっているようで、妙な気がした。今なら「パクさん」と呼ぶだろう。
手持ちのPCで「パクチョンヒ」の読みで変換したら「朴正煕」が出たが、「ぼくせいき」の読みで変換しても「朴正煕」が出なかったので、「ぼくせいき」でも「朴正煕」の漢字表記が出るように単語登録した。
『はだしのゲン』の中沢啓治作家亡くなる。韓国でも哀悼の声 - 韓国語への挑戦 - Y!ブログ 2012年12月28日
『はだしのゲン』では日韓併合や朝鮮戦争に関する言及もある。原爆の話だけではない。
中沢啓治氏は近年、病気で執筆活動から引退したが新作のコマ割りと台詞などを考えていたらしい。それは、ゲンが東京に移り、自分が「広島から来た」と言った途端、相手から「この店から出ていけ」と言われるという風評被害の話で、被爆者が受けた差別を描いていた。
中沢啓治氏の名前は「終戦」前は「中澤啓治」だったはずだ。「戦後」国語改革で「澤」が「沢」になった。それで「中澤裕子」「吉澤ひとみ」「澤穂希」ではなぜ「澤」が復活しているのか。これは(澤村榮治>)沢村栄治と澤村拓一(ひろかず)についても言える。
東日本大震災の後、被災地から他の地方に移った 人たちが風評被害で苦しんだニュースを見聞きした時「はだしのゲン」を思い出した。「ピカの毒が移る」という風説で被爆者が広島県内でも差別されていた。
風評被害は現に起きている。
>(中沢啓治氏は)被爆者が差別された経験から、福島でも同様の事態が起きないよう強く願った。
安倍内閣は原發増設に前向きらしい。自民党が政権を奪還したら日本は原發推進に戻る。これは選挙前からわかっていたことでだから未来の党や社民党、共産党は原發反対を叫んでいた。国民の大半はそれを無視して自民党を勝たせたのだからこうなるのは当然だ。
もし中沢啓治と忌野清志郎が出会ったらやはりゲンパツの話になるのだろうか。
中沢啓治が福島の被災者が受けた「風評被害」について語っていた。 今年の夏の平和式典でもある人が「私たち日本人は広島長崎を知りながら福島を生んでしまった」と半ば後悔のようなコメントをしていた。
kyojitsurekishi そういえば田中克彦さんも「マイノリティ(少数民族)にとって民主主義は敵だ」と言っていた。民主主義の原則は多数決だから少数派の意見は民主主義の社会で採用されない。確かに多数決とは「数の論理」であるわけだ。
『はだしのゲン』では日韓併合や朝鮮人被爆者の悲劇、戦後編で吉田茂のときの衆議院解散や朝鮮戦争も話題になっていた。
〔『はだしのゲン』の中沢啓治作家亡くなる。韓国でも哀悼の声〕 2012-12-28 09:42:05
『原爆といのち (漫画家たちの戦争)』 手塚 治虫『ブラック・ジャック やり残しの家』他
(中沢啓治の『おれは見た』も収録されている模様)
〔劇場アニメ『はだしのゲン』 原爆投下を克明に描写した、原作者とスタッフの熱意(マグミクス)〕
〔DVD〕
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