「藤田まことの実年齢=劇中の中村主水の年齢」とした場合・総合(1)
活動時期で分類→【江戸時代初期】【中期】【化政天保~嘉永幕末
生まれた時期で分類→江戸時代初期】【中期寛政末~化政】→総合(2)
藤田まことの年齢に基づく中村主水の歴史上の経歴2

1620年代生まれの中村主水(~もんど)は『必殺4 恨みはらします』で奉行を仕置。
1640年代~1650年代生まれの主水は『必殺忠臣蔵』で吉良を仕置したか。必殺が「反体制」なら主水は大石内蔵助を吉良の仇として仕置したのではないか。
これらの主水は水戸光圀または徳川綱吉と世代が近かった。
 
具体的に中村主水が何年生まれになるかは生まれた時期で分類→江戸時代初期】【中期寛政末~化政】→総合(2)を参照。
 
1730年代生まれ
年齢が近かった人物:徳川宗睦(1733~1800)、4代目山田浅右衛門吉寛(1736~1786)、徳川家治1737~1786
この主水は1185年の「壇ノ浦の合戦」から600年経過した1785年に仕事人だった(『必殺仕事人V』第25話「主水、源氏と平家に泣かされる)。1786~95年、長谷川平蔵が付盗賊改方長官だった時に主水と会っていたか(『三日殺し軍団』)。
 
1740年代生まれ
年齢が近かった人物:長谷川平蔵(1745年または1746~1795)、伊能忠敬(1745~1818)
この主水は1820年(文政3年)に南町奉行所の同心だったが書庫番に異動(『必殺仕事人2007』)、1821年(文政4年)には自身番に移っていた(『必殺仕事人2009』)。
 
『仕事人V』第25話「主水、源氏と平家に泣かされる」の主水(活動時期は1780年代←1730年代生まれ)と『仕事人2007』『2009』の主水(活動時期は1820年代←1740年代生まれ)が世代的に近いのは注目に値する。

1760年代生まれ 
年齢が近かった人物:葛飾北斎(1760~1849)、5代目山田浅右衛門吉睦(1767~1823)、曲亭馬琴(1767~1848)
もし『必殺仕置人』の主水が文化元年(1804年)で40歳だったとすると1765年生まれとなり、『仕事人・激突!』第8話「新門辰五郎のまとい」の主水が1822年(壬午の年)当時58歳だったとすると同じく1765年生まれ。一方、『仕事人V』で下町の玉三郎と出会った主水が1812年(壬申の年)当時52歳だったとすると1761年生まれで数年年上になる。
この主水は文化・文政年間(1804~1829)に裏稼業を初め(『必殺仕置人』)、1822年(壬申)に将軍家の悪人を仕置し(『必殺仕事人V』最終回)、1819年にオランダ商館から表彰され(『旋風編』第7話「主水、せん、りつ、ダブルベッドに寝る」)、1820年に闇の金融組織と戦い(『必殺!III 裏か表か』)、1822年の壬午年11月に他界した人物の墓が『仕事人・激突』第8話「新門辰五郎のまとい」に見られ、1826年(丙戌)年、主水は鍛冶屋の政の殉職を見届けた(『必殺!5 黄金の血』)。しかし、仕事人・政は1843年、1858~60年、1866~67年にも活動していた。

1770年代生まれ
年齢が近かった人物:徳川家斉(1773~1841)
1770年代生まれだと、40歳になったのは1810年年代。文化・文政年間(1804~1829)に仕置人だった可能性がある(『必殺仕置人』)。
1828~29年のシーボルト事件の時には高橋景保の獄死を見届け、景保のかたきである国学者と商人の一派を討った。千葉周作も主水の仲間に加わった(『春雨じゃ、悪人退治』 )。さらにこの主水は1805年の「め組」の喧嘩から30年後の1835年に仕事人をやっており(『必殺仕事人・激突!』第8話「新門辰五郎のまとい」)、1836年(丙申年)にも仕事人だった可能性がある(『せん りつ誘拐される』)。
 
文化・文政時代に仕置人だtった主水は、南町への異動(『仕置屋』)、剣の介との出会いと別れ(『仕業人』)、念仏の鉄との再会(『新仕置人』)、鉄の没後の裏稼業再開(『商売人』)などを文化・文政年間に経験したはずだが、『仕置屋』の文化・文政編のみ番組では描かれていない。
『激突!』第8話の時代設定が1835年であればハレー彗星が来た年だ。

1780年代生まれ
年齢が近かった人物:小関三英(1787~1839)、二宮尊徳(1787~1856)、6代目山田朝右衛門(1787~1852)、矢部駿河守(1789~1842)
40歳になったのは1820年代。この主水も文化・文政年間に仕置人(しオキにん)だった可能性がある。
時代が天保に移ると仕事人(しゴトにん)としての活動になっていた。
1832年に鼠小僧が処刑され、翌1833年、仲間の勇次が鼠小僧と間違えられた(『必殺仕事人IV』第12話「勇次 鼠小僧と間違えられる」)。1835年(推定)にハレー彗星接近。『仕事人激闘編』第17話「江戸の空にハレー彗星が飛ぶ」で描かれたのはこの時代か。その後の活動時期は1837~41年の家斉大御所時代(『春日野局』)、1840~42年のアヘン戦争当時(『必殺仕事人・激突!』第10話「主水、出勤日数をごまかす」)、1841年に家斉が没した時(『必殺仕事人V風雲竜虎編』第2話「将軍の初恋騒動!」)、鳥居が南町奉行だった1841~44年(『オール江戸警察』)、1840年代前半(『主水と秀 香港・マカオで大あばれ』)。そして1849年当時の葛飾北斎の死去の後、この主水は1851年に水野忠邦を暗殺した(『必殺!主水死す』)。
『主水死す』で「死んだ」主水は1780年代生まれの主水ということになる。 
『江戸警察』の主水は鳥居就任の時点で奉行所勤続23年。1843年から23年前は1820年になる。
 
1832年の鼠小僧処刑は山田朝右衛門によるもので、盗賊というのは冤罪だった(『仕事人・激突!』)。また、からくり人が替え玉と後悔していた可能性もある。1833年当時は、秀が主水グループを離れて出張仕事もしていた(『必殺まっしぐら!』)。
 
1790年代生まれ
年齢が近かった人物:7代目市川團十郎(1791~1859)、大塩平八郎(1793~1837)、徳川家慶(1793~1853)、遠山景元(1793~1855)、千葉周作(1793または1794~1855)、ペリー(1794~1858)、水野忠邦(1794~1851)、鳥居耀蔵(1796~1873)、安藤広重(歌川~、1797~1858)、シーボルト(1796~1866)、歌川国芳(陰1797/陽1798~1861)
1790年生まれだと満30歳だった年は1820年、満40歳はだったのは1830年なので、仕置人の主水が、1830年の文政→天保の改元以前に40歳の仕置人だったとすれば、この世代が一番「年下」。
1790年生まれの主水の場合、活動時期はほとんど天保~弘化。1790年代生まれの主水は1842年にアヘン戦争終結の時に香港で仕事を行い(『仕事人アヘン戦争へ行く』)、1844年に平手造酒(ひらてみき)を仕置した(『仕事人意外伝』)。なお、1844年に平手造酒と組んで鳥居奉行を仕置した『江戸警察』の主水は少し前の1780年代生まれに入り、「別人」の可能性がある。
 
『アヘン戦争』の時の主水(推定1790年代生まれ)の仲間は秀、勇次、加代、順之助、おりくで、『意外伝』の時には政、竜、加代、順之助、おりくになっていた。『江戸警察』の主水(推定1780年代生まれ)の加代と組んでいた。
『アヘン戦争』と『意外伝』の、どちらの主水も「三味線屋」と組んでいた。それぞれ三味線屋・勇次(演:中条きよし)と太棹の新之助(演:田村亮)である。天保の改革の逆風をもろに受けたのは新之助、あるいは『新からくり人』のお艶(演:山田五十鈴)だった。
 
『仕事人、京都へ行く』の京都御所改修工事は1855年であれば幕末。藤田まことが56歳の時の作品。劇中の主水が満56歳なら1799年生まれで、数え年56歳なら1800年生まれ。
 
1800~1809年生まれ
年齢が近かった人物:徳川斉昭(1800~1860)、高野長英(1804~1850)、
ハリス(Townsend Harris、1804~1878)、島津斉彬(1809~1858)
1800~1809年生まれだと40歳になったのは1840~1849年なので、裏稼業のほとんどは天保の改革(1841~43)以降の時代になる。
この主水は1842年に北町から南町奉行所に移り(『必殺仕置屋稼業』)、鳥居甲斐守の配下で働き、その後、牢屋見回り同心に格下げ(『必殺仕業人』)。仕事人(しゴトにん)になってからの活動はもっぱら幕末になる。
1800年生まれであれば、前述の1855年の京都御所改修工事の時は数え年56歳(『仕事人、京都へ行く』)。
次に1858年(安政の大獄)→1860年(桜田門外の変)の時に主水は裏稼業をしていた(『大老殺し』『必殺仕事人・激突!』第1話「ねずみ小僧の恋人」)。1863年、清河八郎の浪士隊に参加し、1868年に鳥羽・伏見の戦いで佐々木唯三郎を槍で暗殺した(『横浜異人屋敷』)。
 
この世代の主水は裏稼業の開始が天保年間(1830年代~40年代前半)になる。但し、『仕置人』『新仕置人』の場合、番組で描かれたのは文化・文政編のみで、天保編は描かれていない。『仕事人大集合』に登場した錠、虎は番組で描かれなかった新旧『仕置人』の天保編における仕置人だったのだろう。
 
1842年当時の中村主水が1982年当時の藤田まことと同じ49歳であれば主水は1790年代生まれになるが、『新仕事人』第13話の主水のように43歳だったとすると1800年頃に生まれたことになる。

1810年代生まれ
年齢が近かった人物:国定忠治(1810~陰1850/陽1851)、平手造酒(1810年前後?~1844)
緒方洪庵(1810~1863)、ナポレオン2世(1811~1832)、7代目山田朝右衛門(1813~1884)
井伊直弼(1815~1860)
1810年代生まれだと、40歳になったのは1850年代なので、裏稼業のほとんどは1853年以降の幕末になる。北町から南町への異動も幕末に経験したはずだが、それは描かれていない。
1853年、黒船来航、将軍が家慶から家定になった時、北町奉行所同心で、裏稼業を再開(『暗闇仕留人』)。翌年、糸井貢の殉職で仕留人解散。横浜での日米会談の護衛に選ばれた。13~14年後、1866年または1867年、慶喜が最後の将軍になった時、主水は南町の同心で、裏稼業をしていた(1985『ブラウン館』)。
 
ちなみに、『仕事人、アヘン戦争へ行く』の秀が1842年(天保13年)当時数え年30歳(満29歳)だったとすると(三田村邦彦は1983年当時30歳)、1813年(文化10年)生まれになる。この場合、1853年(嘉永6年)の黒船来航当時、40歳になる。
 
『仕留人』の大吉(演:近藤洋介)は1853年(嘉永6年)当時、34歳の設定だった(「過去ありて候」)。これが数え年34歳であれば、満33歳なので、大吉は1820年(文政3年)生まれ。
 
前後一覧
平成27年7月〔20日前後〕〔20~31日
 
関連語句
 
参照
中村主水と同世代の人物【生まれた時期が江戸時代中期→後期に活動】(藤田まことの実年齢基準)

 

中村主水と同世代の人物【生まれた時期が文化・文政→天保~幕末に活動】(藤田まことの実年齢基準)

 

中村主水と同世代の人物・総合(藤田まことの実年齢基準)

 

中村主水と同世代の人物・総合(藤田まことの実年齢基準)

 

中村主水と同世代の人物・総合(藤田まことの実年齢基準)

 

藤田まことの年齢に基づく中村主水の歴史上の経歴1

 

中村主水、世代別一覧(江戸時代全般、藤田まことの実年齢基準)