「藤田まことの実年齢=劇中の中村主水の年齢」とした場合総合(1)
活動時期で分類→【江戸時代初期】【中期】【化政天保~嘉永幕末
生まれた時期で分類→江戸時代初期】【中期】【寛政末~化政】→総合(2)
藤田まことの年齢に基づく中村主水の歴史上の経歴1

『仕置人』の時代設定は文化・文政、『仕留人』のそれは幕末、『仕置屋稼業』(~『仕業人』)では天保、『新仕置人』(~『商売人』)では再び文化・文政、『仕事人』では文化・文政と天保と幕末が繰り返し扱われていた。
中村主水の年齢を「作品放送当時の藤田まことの年齢」と同じだと假定する。
この場合、『仕置人』『新仕置人』の主水は文化文政期に活動したが、世代的には天保~嘉永年間の江戸を舞台とした仕事人』主水と近い世代になる。
一方、『仕置屋』の主水は、天保時代に活動したが、世代の上では幕末に活動した『仕事人』の主水と世代が近い。
『仕留人』の主水は当然、幕末の『仕事人』の主水とほぼ同世代だが、世代的に一番近かったのは『ブラウン館』の主水だった。

主水シリーズの時の藤田まことの年齢は
『仕置人』40歳→『仕留人』41歳→『仕置屋』42歳→『仕業人』43歳→『新仕置人』44歳→『商売人』45歳→『仕事人』46歳→『主水死す』63歳→『2007』74歳→『2010』77歳という変遷であった。
『仕留人』の主水が1853年当時41歳で、藤田まことと同じく「40歳で仕置人、42歳で仕置屋」だったとすると、仕留人の主水が仕置人になったのは1852年、仕事人になったのは1858年で安政の大獄の時である(『大老殺し』の時の藤田まことは54歳)。
『仕置屋稼業』の時の主水が1841年当時で42歳だったとすると、仕置人になったのは1839年、蛮社の獄の時だ。仕置屋の主水が仕業人→仕置人(2度目)→商売人を経て仕事人になったのは1845年となるが、そうなると1844年より前に仕事人だった主水は『仕置屋』の主水ではなかったことになる。家斉が没した1841年当時の『風雲竜虎編』の主水や、1842年の時点で既に仕事人だった『仕事人アヘン戦争へ行く』の主水は、『仕置屋』の主水とは「別人」になる。

前後一覧
2008年9/25 [1] [2]
2009年9/7
2012年6/26 7/8

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