舞台は安土桃山時代で、秀吉(演:岸谷五朗)と朝鮮使節の会話が朝鮮語の通譯つきでおこなわれたらしいが、その部分は見逃した。
7月2日土曜の再放送で録音できれば録音したい(テレビが地デジになった影響で録画ができず、CDラジカセで録音することはできる)。

7月2日の再放送をラジカセで聴きながら録音した。
舞台は天正18年(1590年)7月から始まる。

秀吉が家康から三河を取りあげ、代わりに関東を与え、家康は利休に「城を江戸に作る」と言った。秀吉が家康を警戒し、当時の日本の首都だった関西から家康を遠ざける腹だったことがわかるが、関東は鎌倉幕府のあった土地。のちの江戸時代の成立を考えると、秀吉は家康を関東に送って失敗したということか。
しかし東京に首都があるせいで福島に原發が作られ、原發のせいで地元住民が追い出され、家畜が殺されているのだから、首都誘致も良し悪しである。

ドラマでは江が秀勝(演:AKIRA)と話していたところを、秀忠(演:向井理)が聴いており、秀勝が去ったところで江が秀忠に気づいた。秀忠の台詞で「ややこしい」が出ている。本来は関西辯なので、京都や大坂の人が使っていても不思議はないが、戦国時代から使っていたのだろうか。

番組では当時の国際情勢がよくわからず、単に秀吉の領土擴大欲が肥大化した結果のように描かれている。信長が頭蓋骨を前に酒を飲んだことについての逸話のような新たな見解が見られない。

11月、秀吉が朝鮮使節と会見。なぜか江姫も同席していた模様。鶴松も連れていたらしい。
秀吉の台詞を通譯が朝鮮語に譯した場面で、朝鮮語でも「豊臣秀吉」がそのまま「トヨトミヒデヨシ」と呼ばれていた。
今の朝鮮では日本人名は日本語そのままで言う。ただこれは20世紀になって朝鮮文字(ハングル、諺文、訓民正音)が普及してからであろう。
「とよとみひでよし」を朝鮮文字で書くと「도요토미 히데요시」になる。
ローマ字にすると Toyothomi Hideyoshi になり、母音間の t が激音 th になり、語頭の T が母音間の d と同じ子音(t の平音)として扱われる。
一方、朝鮮王国時代、朝鮮人はおそらく「豐臣秀吉」(「豐」は非略字)の漢字を朝鮮語読みしていたと思われる。そうなると「풍신 수길(Phung-shin Su-gil)」となるはずだ。

「訓民正音」が制定されたのは1446年で、日本では室町時代である。
劇中の秀吉と朝鮮使節の対面はそれから144年後のことであるが、当時の朝鮮で日本人名の「日本語読み」のままで言うことが普及していたかどうかわからない。

「풍신 수길(Phung-shin Su-gil)」のような言い方は文章語の翻譯での話で、話しことばの通譯では、聴いた名前をそのまま言うほうが楽である。
当時の朝鮮語の通譯もそうしたのだろうか。
도요토미 히데요시 풍신 수길 豊臣秀吉 大河ドラマ 通信使 - Google 検索

番組ではナレーションも秀吉の家臣の台詞も朝鮮を「異国」としていたが、秀吉が日本を統一する前は日本の各地も「異国」同士であり、小島毅氏の<団塊から歴女まで「日本史教科書」再読ドリル>第44回(『週刊新潮』2011年3月24日号)によると当時の戦国大名は日本を統一することを考えておらず、秀吉も「日本」を閉じた統一体とは見なしていなかったようである。そして、確かに豊臣が北条を滅ぼした1590年にすでに朝鮮出兵の計画は練られていたようで、国内の“統一”と国外の“侵略”は連続していて、それは明治時代にも生じた現象らしい。確かに『風林火山』でも武田信玄は「侵掠如火」を旗印にしていた。
21世紀になっても南北朝鮮が統一できないのは、南朝鮮が北朝鮮を「侵略」できないからだ。

脚本家・田渕久美子が書きおろした小説の128ページを見ると秀吉が朝鮮を日本に服属させようとして朝鮮王を上洛させようとし、通譯だった対馬島主の宗義調(そうよししげ)が秀吉の真意を朝鮮側に傳えられず板挟みで苦労し、日本統一の祝賀として朝鮮側から使節に訪日してもらい、結果、秀吉は朝鮮の服属を誓う使節と思って会談に臨んだため、結果、決裂したことになっている。真相はどうなんだろうか?なお、小説では当時の朝鮮は明の属国だったことになっている。そして「鶴松病死のうっぷん晴らしに秀吉が朝鮮出兵を決めた」という解釋だ(小説『江 姫たちの戦国 中』149ページ)。

NHK教育テレビでやっていた渤海特集で、平安時代の日本が新羅を攻撃する計画を立てていた話があったが、どうも大河ドラマはこの歴史観を朝鮮出兵に当てはめているように見える。

また、宗義調は1588年か遅くとも1589年にこの世を去っていたという情報もある。そうなるとこの会見の通詞は宗義調でなかったことになる。小説では宗義調が1590年まで生きていたという解釋をしているのだろうか?

江戸時代において朝鮮通信使と日本側の会話は漢文の筆談だったらしい。
『水戸黄門』で清国の使者が殿様に謁見する場合、筆談ではなく通譯が入っていた。

武家政権時代、日本とシナ、朝鮮との意思疎通は筆談と通譯を介した会話の併用だったようだ。

『龍馬伝』では黒船来航の際、日本側とアメリカ側の会話の場面で、英語→オランダ語→日本語、日本語→オランダ語→英語という二重通譯がそのまま描かれた。
ただドラマではこういう場合、通譯抜きにする脚色もある。
『男はつらいよ』で車寅次郎が欧洲のウィーン(独語圏)を訪れたとき、現地のオーストリアの人と通譯なしで会話していた。

以前、確か教養番組の中で幕末の再現ドラマが入っているのを観たとき、日本の幕臣(演じていたのは林与一だったか)が日本語で話し、アメリカ人(ペリー役)がアメリカ英語で話し、通譯抜きで会話が成立していたと思う。
└→『江~姫たちの戦国~』第24話「利休切腹」で描かれた戦国時代の人間関係

補足
朝鮮語の音韻体系に則してローマ字化するとこうなる。
도요토미 히데요시→Toyothomi Hiteyosi
풍신 수길→Phung-sin Su-kil

2011年12/29にTSUTAYAで「利休切腹」「愛の嵐」収録のDVDをレンタルした。
└→朝鮮語の中の豊臣秀吉(『江』と『葵』比較)

マカオのVIPルームは「貴賓房」。


前後一覧
2011年6/26 6月