2010年12月6日『水戸黄門』第42部「敦賀」
第38部でも光圀が敦賀を訪れたが、第38部では彦根から琵琶湖を北上して敦賀に入ったのに対し、第42部では北陸から西に移動して敦賀に入っていたようだ。

 

第38部では元禄の丑年で光圀存命の時期であり、1697年と思われる。
一方、第42部では高松藩の松平頼常の息子(養子らしい)・松平頼豊が12歳である点を採用すると1691年になる。6年ほどさかのぼっている。
また、第38部では敦賀を訪れた光圀一行に疾風のお娟が同行していたが、第42部ではその6年前(推定)にお娟が結婚して光圀のお供を「引退」して、楓が参加しており、第27部と第42部はパラレルワールドであろう。そうでなければ一度「引退」したお娟が6年後にはお供に「復帰」していたことになる。

 

2010年12月7日『水戸黄門』第27部再放送「新津」
さすがに光圀は北陸では「越後の光衛門」は名乗れないようだ。
第16話「黄門様を探した娘」で光圀を探していた女性が同行。

 

第18話では鶴岡を訪れており、第40部でも訪れた場所だ。
第20話の新津では「臭水(くそうず<くさうづ)」という油が地面から湧き出る。
新潟は米も石油も採れるのに、これらが輸入に頼っているのは情けない話だ。
Y!Japan 新津 臭水

 

貝原益軒が編纂した『大和本草』で臭水が記録されているらしいが、『大和本草』が出たのは光圀没後9年、綱吉が没した1709年だったようだ。光圀が隠居していた1690年代にはすでに新潟で油が出ていただろうが、世間ではよく知られていなかっただろう。それでも劇中の光圀は臭水を知っていた。

 

劇中では臭水がが爆發しやすい危険なもので、飛猿とお銀が火事現場に出くわして、飛猿が赤ん坊を救助していた。
光圀が出会った男は大出俊が演じており、安全な臭水を求めて諸国を旅していた。
新津油田は明治末期から大正初期にかけて發展したらしい。

 

『巨人の星』では1969年当時が「昭和元禄」だったが、石油が普及し始めたことで、九州の宮崎県の村では石炭産業が衰退。『ドカベン』では1974年ごろ、ひわき東高校の地元で炭坑が廃坑。
それで1970年代半ばは石油危機の時代で、工場から出る煙が問題で光化学スモッグが問題だったのだから、経済成長には問題が多い。

 

第27部では第17話から第19までの3話だけ弥七が登場したようだが、再放送を見逃して確認できていない。
「初代」弥七役の中谷一郎が高齢のせいか第27部を最後に降板。観た限りでは飛猿とお銀が光圀一行をサポートしていた。

 

なお、「くそうず」は「くさうづ」の訛りで、「くさみづ」の「み」が「う」になったのは mi の m が u になって残ったのではなかろうか。

 

2012年10月07日(日)
臭水(くそうず<くさうづ<くさみづ)という石油らしき物が地下から出る話。サンデーモーニングでシェールオイルがこの臭水と紹介。東北北陸で出るらしい。
posted at 10:13:00

 

1709年に貝原益軒が編纂した本草書「大和本草」で臭水の記録がある。水戸光圀の隠居期間は1690~1700年だから益軒の記録より10年か20年ほどまえに新潟で石油らしき物が出ていたことになる。新津は平成の大合併で新潟市に統合された。
posted at 10:27:43

 

水戸黄門 孫を救った燃える水・新津|いい大人〕〔#新潟

〔「水戸黄門 第42部」第5話 ヒスイの謎の解決編 - 月の光で澄み渡る〕

午後5:16 · 2017年4月4日

 

初美白穂@ホンダLOVE歴17年目
@shirahochan
昨夜の水戸黄門には原油が出てきましたね!?エンジンも石油ストーブも無かった江戸時代に原油が湧き出る油田があったとは!?考えたこと無かったですΣ(゜д゜;)))
〔#BSTBS
〔#水戸黄門
午前11:59 · 2020年9月17日

 

『水戸黄門』第27部第20話新津」…平成11年(1999年8月2日)放送

午後9:30 · 2020年10月22日

 

AmebaBlog>不動産登記・商業登記・夫婦財産契約登記等>〔<石油噴出>新潟の住宅で大量の泥水とともに、処理に困惑

午後9:44 · 2020年10月22日

 

 

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