2010年3月16日(火曜日)に東京MXテレビで第68話「邪馬台国の謎に迫る!みよ子がヒミコ?」が放送された。

 

オープニングは「夢見る時間」で、歌っているのは『乳姉妹(ちきょうだい)』に出ていた森恵らしい。
タイトルの前に漢字の干支を示した時計が登場する。

 

「辰」と「午」の間の「巳」が「」になっている。
こういう時計はキテレツ斎の發案だろうから、江戸時代の幕末には「巳」「已」「己」が混同されていた可能性がある(下注釋)。

 

 

勉三が吉野ヶ里遺跡のニュースを観て、キテレツやコロ助たちに邪馬台国の卑弥呼の話をした。
この作品では吉野ヶ里遺跡が邪馬台国の可能性が高いとされていた。

 

また邪馬台国は約1750年前の国とされていた。

 

キテレツ、コロ助、みよ子、ブタゴリラ、トンガリ、勉三が航時機で弥生時代に行く。
航時機の表示を観るとキテレツたちの時代は1989年11月5日、最初に到着したのは249年11月5日の日本。
嵐の日だった。

 

その後、キテレツたちは嵐の始まる前の日にタイムスリップすることにするが、その寸前にコロ助が放り出されてしまう。
キテレツたちが到着した国は吉野ヶ里のようだったが、国王と巫女がいた。
クマの国が攻めてくることがわかり、みよ子のアイデアで撃退。

 

航時機の部品が1個足りず、キテレツたちは20世紀に帰れそうにない。
吉野ヶ里らしき国の人たちはみよに女王になってほしいと言った。
そのとき、コロ助が現れ、彼が部品を持ってきて、みよ子は邪馬台国の女王にはならず、キテレツたちと現代へ帰還した。

 

彼らは「日本人」と「ヤマト民族」を同義と認識していた。
キテレツが249年の日本に到着したとき、「10年ずれちゃった」と言っていた。
卑弥呼が239年に魏の明帝に朝貢し、親魏倭王の称号と金印とを受けたのは西暦239年とされる。
また卑弥呼没年はどうも248年だから、キテレツたちがいたとき、「史実」では卑弥呼は没したあとだったはずだ。

 

この作品では邪馬台国は九州にあったことになっているのだろうか。
20年たった今、邪馬台国畿内説が有力になっている。邪馬台国は古代シナ人がヤマトに複数あった王国を一つであるかのように描いた結果ではなかろうか。

 

『ドラえもん』の原作では2008年にタイムマシンが發明され邪馬台国の場所が判明したことになっているが、実際はそうなっていない。
なお、『キテレツ』と『ドラえもん』では文明史の解釋が違うので、別世界を扱っているのだろう。
『キテレツ』では2008年どころか1855年の幕末にキテレツ斎が航時機の設計図を『奇天烈大百科』に描いていた。『ドラえもん』では21世紀または22世紀の發明品であるものが、『キテレツ』では江戸時代になっている。
もっともキテレツ斎の發明は江戸時代には封印されて、21世紀や22世紀に日の目を見たとも考えられる。

 

平成25年tw

/@kyojitsurekishi/

返信先:@nobunavyさん

アニメの「キテレツ大百科」では邪馬台国九州説が有力とされていたと思います。今では畿内説が倍返しで盛り返してますかね。満州については中学の社会科の歴史で教わりましたが、小学校の社会科の歴史でやったかどうかよく覚えていません。

/午後11:49 · 2013年9月3日/

 

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/午後11:31 · 2022年7月23日/

 

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注釋
「巳」と「已」と「己」
『新必殺仕置人』の鋳掛屋・巳代松(いかけや・みよまつ)も資料によって「巳代松」と「己代松」の両方の表記が存在する。なお、『新仕置人』の作中で仕置人が活動したのは文化・文政時代のようであるが、『仕事人』『仕留人』などとの関連を考えると天保後期、さらに幕末にも仕置人が存在したことになる。

参照
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2018-04-11
 
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