1974年藤子・F・不二雄3作品 

1974年春、藤子・F・不二雄が『ドラえもん』を「さようならドラえもん」で一旦終わらせ、その後継作品として『みきおとミキオ』をスタートさせた時期、藤子・F氏が『みきお』とほぼ同時に創ったのが『バケルくん』と『キテレツ大百科』である。
当時、藤子・F氏は結局、『ドラえもん』を忘れられず「帰ってきたドラえもん」で復活させた。この時期の藤子・F氏は作品のアイデアをいくら考えても『ドラえもん』に行きついてしまうと言っていた。

その時期には「帰ってきた~」で再スタートした『ドラえもん』と『みきお』『バケル』『キテレツ』が並行して雑誌に掲載され、我々はそれらを『ドラ』の前から存在した『オバケのQ太郎』等とともに楽しんでいたわけである。

『キテレツ大百科』はドラえもんの世界観を継承しながら、細かい設定を『ドラえもん』と逆にした漫画である。
『ドラえもん』ではロボットが不思議な道具の提供者で、少年がそれを受け取り側だが、『キテレツ』では人間であるキテレツが不思議な道具を作り、キテレツの創ったロボット・コロ助がキテレツとともにそれを使う。
キテレツはメガネが四角いだけで、のび太に似ている。
コロ助は体形がドラえもんに似ているが侍に近いスタイル。

ドラえもんが四次元ポケットから提供する秘密道具はドラえもんが創ったのではなく、22世紀の人類が創ったもので、ドラえもんも22世紀の人間の文明の作品にすぎない。『キテレツ』ではそこを強調している。

しかも、『キテレツ』ではその秘密道具の源泉が「未来」でなく「過去」になっている。
『キテレツ』では幕末という過去に20世紀や21世紀より進んだ文明をもたらすアイデアがありながら、社会に認められず埋もれたという話。現在を舞台にした最終回でもキテレツの母親が一般人には白紙の本に見える『奇天烈大百科』をゴミに出してしまい、大百科は煙と化してしまう。
大百科への「焚書」が繰り返されたわけだ。
これについてはキテレツが『奇天烈大百科』を秘密にしていたこと、部屋に置きっぱなしにしていたことなど、責任はあるが、いずれにしろ、「意図的」であれ、「知らない間に」であれ、社会が科学の才能を封じ込めてしまう体質は江戸時代から変わっていないという風刺である。

『ドラえもん』において、石器時代の世界を訪れたのび太が狩猟採集の生活に適応できず、原始人から笑われる展開があり、また、のび太の住む町の汚い川が昔は澄んだ川だったなど、人類の「進歩」による自然破壊が描かれている。それが「さらばキー坊」で強調されている。そこでのび太が秘密道具を使って失敗することが繰り返され、「便利な道具は使い方次第」ということが嫌でも繰り返されている。それでも未来になって文明がより進歩するということは『ドラえもん』で話の基本になっている。
『キテレツ大百科』で藤子・F氏が描いたのは文明の進歩の否定であり、むしろ、人類は退化しているとさえ言える。

キテレツ少年にとって飛行機を發明したのはライト兄弟ではなく、自分の祖先である。
つたえられる歴史でも、日本では浮田幸吉(1757~1847?)がグライダーに近いもので空を飛んだらしい。
1893年には二宮忠八(1866~1936)が人を乗せて飛べる玉虫型飛行機の模型を完成させ、軍など各方面に開發の協力を求めたが、「外国で実現していない發明など日本では無理だ」と言われて計画は進まず、結局、1903年にライト兄弟によって先を越されたらしい。

人間の文明史を「進歩」とする考えを根本から否定している意味で、深く考えると、文明批判に満ちた作品である。


@kyojitsurekishi 「キテレツ大百科」を知っている世代はどの辺か。上限:1974年に雑誌「こどもの光」で連載が始まった時に12歳小六とすると2012年で50歳。下限:1996年のアニメ終了当時3歳だったとして2012年で19歳。だからおよそ20代から40代までだろう。
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藤子F不二雄の「ドラえもん」はのび太が秘密道具を使って失敗する所から文明の進歩も使い方次第という物語。「キテレツ大百科」はその文明の進歩をもたらす才能が社会に認められない悲哀の話。
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「キテレツ大百科」は文明の進歩をもたらす才能が社会に認められない悲哀の話。 しかし白土三平の「イシミツ」で江戸時代にジャガイモを極秘に栽培していた村の老人は「新しい物が発明されても世の中の仕組みが狂っているとそれが逆の働きをする」と語った。
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