大全集
1854(安政元)年 キテレツとコロ助が航時機で来訪(120年前)
航時機が故障し、キテレツ斎が修理。キテレツとコロ助は現代へ帰還
1855(安政2)年 キテレツ斎が「奇天烈大百科」に航時機製造法を記載
1859(安政6)年 キテレツ斎が飛行実験、山の峰から1里半(約6km)飛行
1924(大正13)年 キテレツの町は小さな村(50年前)
1948(昭和23)年 トランジスタが発明される
1964(昭和39)年(「10年前」から推定) キテレツは赤ん坊
1974(昭和49)年 8月29日23時40分、キテレツとコロ助が帰還

文庫
1855(安政2)年 キテレツ斎が「奇天烈大百科」に航時機製造法を記載
1857(安政4)年 キテレツとコロ助が航時機で来訪(138年前)
航時機が故障し、キテレツ斎が修理。キテレツとコロ助は現代へ帰還
キテレツ斎がスキーを発明(「空地の銀世界」)
1859(安政6)年 キテレツ斎が飛行実験、山の峰から1里半(約6km)飛行※ 
1862年(文久2年) キテレツ斎が「千里鏡」を使って月面の絵を描く☆
1927(昭和2)年 キテレツの町は小さな村(68年前)
1948(昭和23)年 トランジスタが発明される
1985(昭和60)年(「10年前」から推定) キテレツは赤ん坊
1995(平成7)年 4月20日23時40分 キテレツとコロ助が帰還

※→キテレツ斎の飛行実験は原作第1話「ワガハイはコロ助ナリ」による。
☆→「江戸時代の月面図」による。

「大全集」ではキテレツ斎がキテレツ(子孫)とコロ助の乗った航時機を修理したのは1854年で、キテレツ斎が「大百科」に航時機の製造法を記載したのは翌年の1855年であるから、キテレツ斎は子孫の乗った航時機の内部構造を見てその仕組みを「大百科」に記載したことになる。子孫のキテレツは約120年後の1974年に「大百科」を見て航時機を作った。從って、この回の最後のページでキテレツが悩んだように、航時機を発明したのは誰かわからなくなる。

一方、小学館コロコロ文庫における「キテレツ大百科」では、まずキテレツ斎が「大百科」に航時機の設計図を描いたのが1855年で、これは「大全集」でも同じだが、キテレツとコロ助が来訪した時代は文庫では1857年にずれている。これではキテレツ斎は「大百科」に航時機の仕組みを描いた(書いた)2年後に子孫キテレツの航時機を見たことになる。文庫版ではキテレツ斎がキテレツの航時機を修理した時、キテレツ斎は航時機を考え付いていたわけで、文庫版の歴史観では航時機の考案者は江戸時代のキテレツ斎であり、子孫のキテレツが悩んだようなタイムパラドックスは生じない。

1854年 先祖・キテレツ斎が子孫・キテレツの航時機を修理(大全集)

1855年 キテレツ斎が航時機の設計図を「大百科」に記す(大全集、文庫)

1857年 先祖・キテレツ斎が子孫・キテレツの航時機を修理(文庫) 

「大全集」のキテレツは1974年で10歳か11歳。文庫版のキテレツは1995年で10歳か11歳と思われる。

江戸時代の日本では平賀源内が没して約5年後の1785年、浮田幸吉が和製グライダーで飛行実験を行った。 
明治時代には二宮忠八がライト兄弟(Wright brothers)と同時期に飛行機の開発に挑戦していたが、日本では軍の協力が得られず、飛行機発明者の座はライト兄弟が獲得。 確か「知ってるつもり?!」で取り上げられたと思うが、当時の日本では「外国で成功していない技術が日本でできるわけがない」と言われて財政面での協力が得られなかったらしい。

日本で空を飛ぼうとする試みはしばしば犯罪とされ、試みた者は逮捕されたりしたらしい。しかし個人が勝手に空を飛ぼうとするのは自殺行為であり、法による縛りは人命の保護でもある。

アニメ
1987年にテレビスペシャル、1988年から1996年までレギュラーで放送された。
1989年の「邪馬台国の謎に迫る!みよ子がヒミコ?」ではキテレツ、コロ助、勉三、みよちゃん、ブタゴリラ、トンガリが航時機で邪馬台国を訪れた。当時、この作品でスタッフは邪馬台国に関して九州説を採用しており、吉野ヶ里遺跡が邪馬台国であった可能性が高いとしている。20年余り経過した2010年代には奈良県の遺跡や古墳が邪馬台国のそれかと言われるなど、畿内説が優勢に見える。
この回ではキテレツの少年時代も1989年だったようだ。
キテレツが1989年で10~11歳とすると1978~79年生まれである。 
この邪馬台国の回のオープニング主題歌は森恵の歌った「夢見る時間」であった。バブル経済の時代の「自由な時間がない若者の苦労」を歌っていたようだが、20年以上経過して忙しいほど仕事があるだけましという世の中になってしまった。

原作の背景
「キテレツ大百科」は藤子・F・不二雄によるSF(=少し不思議)漫画で、1974年に「ドラえもん」が「さようなら、ドラえもん」で終わるかに見えたが、読者の要望で「帰ってきたドラえもん」で復活したとされる。「さようなら、ドラえもん」の雑誌連載時には「ドラえもん」が続くような予告があったらしく、本当に終わる予定だったか疑問の余地はあるが、当時のF氏はどんな新作を考えてもドラえもんに行きついてしまったと言われる。その時、小学館学年学習雑誌で「ドラえもん」の後継作品とされたのが「みきおとミキオ」で、また「バケルくん」も学年誌で始まり、いずれもリアルタイムで見た記憶がある。1974年には「ドラえもん」がてんとう虫コミックスで単行本化された。更に雑誌「こどもの光」で「キテレツ」の連載が1974年から始まり、連載が終わった1977年(「コロコロコミック」創刊の年)に「キテレツ」がてんコミで単行本となった。1968~69年の「21エモン」も1970年代後半に小学生新聞に連載され、てんコミに追加された。
「ドラえもん」の原作は実質、1970年1月号で始まったが、 「みきお」「バケル」「キテレツ」はその4年後、「帰ってきたドラえもん」雑誌掲載の1974年に始まった作品なので3つとも「ドラえもん」に似ているのは当然であった。
 
キテレツ斎が航時機を発明したのは1855年でこれは大全集1巻でも文庫2巻でも同じ。子孫であるキテレツが航時機で訪れた幕末の時代は、大全集では1854年だが文庫では1857年。文庫版の歴史観では航時機の発明者は明らかにキテレツ斎である。
『キテレツ大百科』の「片道タイムマシン」の歴史観
tweet 〔午前0:54 · 2012年9月26日

 @kyojitsurekishi 藤子F不二雄氏没から16年。思い出すと1974年から数年間、学年雑誌でドラえもん、バケルくん、みきおとミキオを読み、ドラえもんは単行本でも読み、またてんコミで新オバQを読み、小学生新聞で21エモン、キテレツ大百科も単行本で読んだ記憶がある。 
tweet 〔午前8:56 · 2012年9月23日
 

キテレツ大百科大全集では先祖キテレツ斎が子孫キテレツの航時機を直したのが1854年で、大百科に設計図を描いたのが1855年。一方、文庫では先祖が子孫の航時機を直したのは1857年で、大百科に描いて2年後であるからタイムパラドックスは生じない。

知恵ノート

午後5:22 · 2012年9月27日

 

「ドラえもん」の原作ではタイムマシン発明が2008年であった。しかし「キテレツ大百科」では江戸時代末期にキテレツ斎が航時機を「発明」していた。

午前0:38 · 2013年8月23日

 
もし「ドラえもん」と「キテレツ大百科」が同じ世界の話とすると、ドラえもんの「未来の道具」の多くはキテレツ斎が幕末に作っていたことになります。「科学読本3」によれば赤影はもっと凄かったようですが。
 

キテレツ大百科の時代設定が現在だったら、キテレツがまずあの書物を自炊してPDF化するところから始まる

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返信先:@fdrbdrさん

キテレツが大百科のバックアップを作っておかなかったのが惜しいですね。江戸時代に書かれた極秘文書が今見つかっても秘密遵守命令は無効でメディアで公表しても構わないでしょう。キテレツ斎を弾圧していた江戸幕府がとっくの昔に崩壊したのに子孫が秘密を守りすぎたのが悲劇でした。

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返信先:@mangaz555さん、@ryoutarou0028@KUSOLAB

キテレツ斎は設定上、江戸幕末の天才ですが、雑誌掲載時と文庫で時代設定が異なるようです。作中、航時機の発明は1855年ですが、大全集では子孫キテレツとコロ助が航時機で訪れた時代は1854年で、文庫版では1857年になっています。

午後3:51 · 2013年6月28日

 

返信先:@bu_waさん

それは32年前に「のび太の大魔境」が公開された時からの謎かも知れません。キテレツの航時機の発案者が誰かわからなくなっているのと似たようなものです。 #映画ドラえもん@bu_wa 未来からきたどらえもんが(巨神像の)心臓部の位置とか知ってるのはおかしいだろう、誰が最初だ

午後5:15 · 2014年3月13日

 

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