家慶が死亡したのは黒船来航以後であった。アメリカと日本の会談は英語→オランダ語→日本語、日本語→オランダ語→英語という形。番組ではオランダ語と英語の字幕も出た。
家定がアヒルかガチョウのような鳥を追いかけまわしているのは『篤姫』でもあった描写で、どうも宮崎あおい(=宮﨑あおい)の出ていたアフラックのCMを思い出してしまう。

黒船来航が江戸幕府成立から250年後だと改めて確認。その黒船から15年後が明治維新である。つまり江戸時代は265年続いたわけだ。

龍馬は桂小五郎に「刀は役に立たない」と言う。桂は「刀を捨てることは武士を捨てること。一生の大問題を他人に言うな」と苦言。龍馬は土佐で岩崎弥太郎に「いつか上士も下士もない世の中になる」と言っていた。龍馬が死んだあと、9年たった明治9年、西暦1876年に廃刀令が出された。

話を『龍馬伝』に戻すと、佐那が女用の着物を着て龍馬の前に現れたときは、『水戸黄門』で女剣士が助三郎の前に現れた場面に似ている。

ドラマでは登場人物がアメリカを「アメリカ」、ロシアを「ロシア」と、今の日本での名前で呼んでいた。江戸時代の日本人は「メリケン」「おろしや」だったと思うが、「アメリカ」「ロシア」という呼び方もあったのだろうか。
『暗闇仕留人』で中村主水はアメリカを「メリケン」、『横浜異人屋敷』で筆頭同心・田中がアメリカ英語を「メリケン語」と呼んでいた。『翔ぶが如く』で島津斉彬がロシアを「おろしや」と言っていた。

龍馬は黒船を見て「あれに比べたら刀は縫い針」と痛感した。しかし、それなら戦国時代の鉄砲傳来のときに日本は銃の国になるべきだったか。剣道が今の日本でも存在することを考えると、武術としての剣術は戦の兵法を学ぶ場所ではなかろう。また、刀すら使わない空手や柔術もある。剣道や柔道が21世紀の日本でも競技になっているところを観ると、剣道、剣術は戦の兵法とは似て異なると言えよう。

武力で勝てないから開国というのも一理あるが、すると日本は相手の軍事力によって鎖国か開国かを決めたことになり、「力こそが正義」という国際情勢に屈したことになる。「勝てない戦争はしてはいけない」なら「勝てる戦争はすべきだ」という結論になり、結局、日本もアメリカのような武器を持てばいいことになるだろう。
日本が大東亜戦争でアメリカと戦ったのも結局、黒船で学んだアメリカの「力の外交」によるものだろう。旧ソ連や中国、北朝鮮が核を持つのもアメリカの原爆、水爆があったからで、アメリカは自分のまねをする国と戦っているわけだ。

『水戸黄門』第37部では夫と別居するようになった女将(おかみ)さんが「自分らしいい生き方」を求めていたように見えたし、この『龍馬伝』では龍馬の姉・乙女が「お前はお前らしく生きるといい」と助言。「自分らしさ」を第一にするのは昨今の J-Pop の常道だが、江戸時代からあったのだろうか。「自分らしさ」と言いながらクイズ番組では「日本人の教養」が強調され、ネットなどで「女子力」が強調されており、結局、人は何らかの枠組みの中でしか生きられないのだろう。

『ルパン三世』の石川五右衛門であれば、黒船を相手に戦えるであろう。

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2010年1月 1/31