水戸藩主
初代・徳川頼房(~よりふさ、1603~1661) 家康の息子、1609年から藩主
第2代・徳川光圀(~みつくに、1628~1700) 1661年から1690年まで藩主
第3代・徳川綱條(~つなえだ、1656~1718) 光圀の甥、1690年から藩主
第4代・徳川宗堯(~むねたか、1705~1730) 1718年から藩主
第5代・徳川宗翰(~むねもと、1728~1766) 1730年から藩主
第6代・徳川治保(~はるもり、1751~1805) 1766年から藩主
第7代・徳川治紀(~はるとし、1773~1816) 1805年から藩主
第8代・徳川斉脩(~なりのぶ、1797~1829) 1816年から藩主
第9代・徳川斉昭(~なりあき、1800~1860) 斉昭の弟、1829年から1844年まで藩主
第10代・徳川慶篤(~よしあつ、1832~1868) 1844年から藩主

│ 1867年大政奉還
│ 1868年江戸が東京に
│ 1869年明治天皇が東京に。版籍奉還(Y!辞書

第11代・徳川昭武(~あきたけ、1853~1910) 慶篤の弟、1869年から1871年まで藩主

│ 1871年廃藩置県

水戸徳川家当主
第12代・徳川篤敬(~あつよし、1855~1898) 昭武の甥、特命全権公使、式部次長等
第13代・徳川圀順(~くにゆき、1886~1969) 『大日本史』完成、貴族院議員
第14代・徳川圀斉(~くになり、1912~1986) 財団法人水府明徳会会長
第15代・徳川斉正(~なりまさ、1958~) 水府明徳会会長理事

 

徳川記念財団のHP
www.tokugawa.ne.jp/about_member.htm

 

読売オンラインHP>歴史を歩く>大日本史(水戸市など)
www.yomiuri.co.jp/e-japan/ibaraki/kikaku/018/1.htm

 

江戸時代に生まれたのは初代から第12代まで。
3代目の水戸綱條は『水戸黄門』にたびたび登場する。全国旅行の合間に光圀が綱條と会っていた。
『暴れん坊将軍』では老人となった綱條が登場したようである。綱條は『水戸黄門漫遊記』の影響で忍び旅をしたようだ。なお、『水戸黄門』では紀州藩主になる前の吉宗が生前の光圀とも会っていたことになっている。

 

『闇を斬る!大江戸犯科帳』(Wiki)第8話に8代目の水戸斉脩が登場したらしい。演じたのは宗方勝巳。宗方勝巳は『闇を斬る!』放送当時で56歳。計算上、水戸斉脩が数え年でこの年齢に達したのは1852年のはずであったが、水戸斉脩は1829年に33歳で没している。
9代目・水戸斉昭は遠山景元(1773~1855)より3歳年下だが、時代劇では斉昭が長老で景元が若者のようなイメージである。『江戸を斬る』では森重久弥が斉昭を演じていた。

 

16代目で徳川斉礼もいるようだが、徳川斉礼(1803~1830、Wiki)と同名であり、水戸16代目のほうは生まれた年などは不明。15代目の徳川斉正が1958年生まれで原辰徳と同い年なので、平成の徳川斉礼は原辰徳の甥・菅野智之(東海大)と世代が近いか。早生まれでない場合で、2009年度で大学1年であれば、1990年生まれ。浅田真央もこの学年だ。

 

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09年10/13前後 12月 12/22

 

関連語句
平成26年