小学館コロコロ文庫『21エモン』第1巻「ホテルつづれ屋」9ページで、20エモンが言うには、先祖の右衛門がつづれ屋を開いたのは徳川幕府の始まりとほぼ同時で、それから右衛門、右衛門、右衛門、右衛門と続いたらしい。
一方、「海底の秘宝?」の中の207ページでは、つづれ屋5代目は右衛門である。
この5代目・五右衛門のころ、つづれ屋はニホンバシ(おそらく日本橋)にあり、五右衛門は宝永9年吉日、子孫のために大判10万両を埋めたらしい。

宝永とは1704年から1711年までの元号。1704年(宝永元年)は元禄17年であり、その前の1703年(元禄16年)が「宝永0年」に相当する。
宝永9年は1712年。しかし、宝永8年(1711年)のときに元号が正徳(しゃうとく)になっている。6代将軍・家宣(いへのぶ)の時代で、新井白石の補佐による正徳の治がおこなわれていた時代である。

1688年 元禄元年
1689年 元禄02年
1690年 元禄03年 徳川光圀が隠居
1691年 元禄04年
1692年 元禄05年
1693年 元禄06年
1694年 元禄07年
1695年 元禄08年
1696年 元禄09年
1697年 元禄10年
1698年 元禄11年
1699年 元禄12年
1700年 元禄13年
1701年 元禄14年
1702年 元禄15年
1703年 元禄16年
1704年 元禄17年→宝永元年
1705年 ____ 宝永02年
1706年 ____ 宝永03年
1707年 ____ 宝永04年
1708年 ____ 宝永05年
1709年 ____ 宝永06年 徳川綱吉没す。家宣が将軍に就任
1710年 ____ 宝永07年
1711年 ____ 宝永08年→正徳元年
1712年 ____(宝永09年) 正徳02年 つづれ屋五右衛門(または吾右衛門)が
___ ____ ____ ____ 大判10万両を床下に埋める
1713年 ____ ____ 正徳03年 家宣が没し、家継が将軍に就任
1714年 ____ ____ 正徳04年
1715年 ____ ____ 正徳05年
1716年 ____ ____ 正徳06年→享保元年 家継没。吉宗が将軍に就任。享保の改革開始
1717年 ____ ____ ____ 享保02年
1718年 ____ ____ ____ 享保03年
1719年 ____ ____ ____ 享保04年 吉宗が西川如見を招聘

この場合、つづれ屋5代目・五右衛門(または吾右衛門)が宝永から正徳までの改元を知らず、西暦1712年を「宝永9年」と認識していた可能性がある。例えば、1990年当時、平成2年を「昭和65年」と表現した人がいたかも知れない。それと同じだ。
もし、1603年につづれ屋が始まり、つづれ屋のあるじの座の継承が23年ごとだったとすると、5代目があるじだったのは1695年(元禄8年)から1718年(享保3年)までで、ちょうど、この記録に合致する。

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2009年6/12