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『ドカベン・スーパースターズ編』第29巻(2009年6月8日發賣)を購入。
里中とサチ子の結婚式は、2008年の日本シリーズ(Wiki)で東京スーパースターズが原巨人を破って日本一になった(注釋)あと、2008年の秋。
披露宴で里中の古巣・千葉ロッテの袴田バッテリーコーチ(Wiki)があいさつ。
ここで袴田コーチは里中とサチ子の馴れ初めを簡単に紹介。
それによると、里中は中学野球で実力を發揮、明訓高校に進学して山田太郎と出会い、そこには太郎の妹・サチ子がいて、サチ子はすぐに里中のファンになったとのこと(注釋)。

 

このあいさつを聴くと、まるで里中が明訓に入ってから山田兄妹と出会ったように受け取れるが、実際には、里中が山田太郎を初めて観たのは東郷学園中学2年のときで、対戦相手に山田がいた。山田が小林真司の両眼をスパイクしてしまった悲劇の試合である。
その後、山田は岩鬼、木下のいた鷹丘中学に轉校、小学校3年までやっていた相撲で鍛えた格闘技のセンスを生かして柔道を始めた。サチ子は山田太郎が柔道を始めたころから、太郎の通う鷹丘中学に出入りしていた。岩鬼も夏子も殿馬もそこでサチ子と出会った。小林投手の目の手術が成功したあとは野球に復帰。山田は岩鬼、殿馬とともに野球を始めた。その間、野球部を退部していた里中も山田を追い続けていた。

 

サチ子が里中と出会ったのは、太郎が鷹丘中学を卒業する直前、里中が山田の長屋に押し掛けてきたときである(注釋)。そのあと、山田は不知火や雲竜からの挑戦を受け、祖父からも進学を勧められ、高校進学を決意。その野球部で太郎は里中と再会したのである。
したがって、『ドカベン』での袴田コーチの説明は、あくまで披露宴用にわかりやすくアレンジしたもののように想える。
里中とサチ子は新居で「明訓時代から16年かな」と言っていた。『プロ野球編』以降の設定では里中の明訓高校入学は1992年春であるから、2008年秋はそれから16年と半年で、計算が合う。
山田サチ子は「里中サチ子」になったようだが(里中智が「山田智」になるわけではなかった)、この「里中サチ子」は里中智の名前のもとになった漫画家・里中満智子の名前に似ているせいか、前から知っているような名前である。

 

袴田コーチはロッテの里中獲得について語っていたが、里中が高校3年だったときの「山田ロッテ逆指名騒動」については一切言及なし。

 

披露宴で土門は来ていたようだが、不知火や小林真司など、他のライバルがおらず、徳川監督は来ても太平監督が見当たらない。渚、蛸田、高代といった後輩も描かれていない。もっとも、こういう披露宴では意外と知人は全部集まらないもので、祝電ですませる場合も多いものだ。
└→左門と京子、花形と明子の結婚式

 

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2009年6/11(Y!Blog)