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🖊白土三平の『栬𨊂𠎁潢(いしみつ)』(1963)の「第一話上・酥(そ)の巻」によると、平安時代、天皇と関白藤原家は佛教の戒律で庶民に肉食を禁じながら、自分たちは牛乳を煮詰めた酥(そ)という乳製品をとっていた。
しかし、酥をたくさん食べていた天皇がさほど高齢でないのに死去。関白の一人は酥が不老長寿の霊薬でないと判断し、忍者・犬麿に命じて中国の薬物書にある不老長寿の薬・イシミツを探させた。始皇帝と同じような考えである。

 

「第一話下・四鬼の巻」で犬麿は、忍者同士の抗争の結果、藤原千方(~ちかど)と四鬼(火鬼、水鬼、土鬼、隠形鬼)の一派と戦い、敗れる。🖊平将門の乱(940年)と藤原純友の乱(941年)に続いて、藤原千方が反乱を起こし、四鬼も参戦したらしい。白土三平は「この戦闘において、千方は、数十倍の官軍を妖術をもってたびたび苦境におとしいれたといわれる。おそらく四鬼の活躍であったろう。」と書いている。

 

作品は1963年に描かれ、話の舞台は約1000年前らしいので963年ごろになるが、作品冒頭で天皇が死んでおり、このあたりで没年と退位年が同じ年だった天皇を調べると、第60代醍醐天皇(885生~897即位~930没、退位)、または第62代村上(むらかみ)天皇(926生~946即位~967没、退位)である可能性が高い。
将門と純友の乱、つまり「承平天慶(じょうへいてんぎやう→ぎょう)の乱」があった当時の第61代朱雀(すざく)天皇(923生~930即位~946退位~952没)は退位後に没している。

 

白土三平の『栬𨊂𠎁潢(いしみつ)』の「第二話・冬虫夏草の巻」によると、鎌倉時代にも不老長寿の薬を探す忍者が出現し、伊賀忍者が冬虫夏草(とうちゅうかそう←~さう)の一種・肉芝(にくし)に可能性を求めた。『広辞苑』によると、冬虫夏草は昆虫の幼虫や蜘蛛などに寄生する菌類で、古代中国では蛾類の幼虫に菌の寄生したものを乾燥させて生薬(しょうやく←しゃう~)とし、これを冬虫夏草と称したらしい。肉芝はヒキガエルに生えるキノコで、忍者はそれをいくつか見つけたが、不老長寿の薬となったか否かは記録されていない。
これは1963年の作品で、「700年ほど昔」とあるので1263年前後のことだろう。

 

白土三平の『栬𨊂𠎁潢(いしみつ)』の「第三話・四本指の巻」では、戦国時代にはイシミツを狙う忍者二名・半助と四郎が出現。百姓の一人・茂助がこれを飲んでしまい、忍者2名はこの百姓がどこまで生きるか見届けようと護衛を始める。茂助はこの忍者の一人によって右手の小指を切り落とされていた。だが、茂助は一揆の首謀者として忍者二名とともに処刑された。不老長寿の薬も戦国の乱世では役に立たない。「400年ほど昔」とあるから、作品が出た1963年からさかのぼって、1563年前後であろう。

 

白土三平の『 𨊂 𠎁 (いしみつ)』の「第四話上・念流青眼霞がえしの巻」によると、榊原源之進という武士が藩主の命令でジャガタライモを探す旅に出た。行き倒れとなり、担ぎこまれた村でオドという老人と逢う。オドは戦に出たことがあるらしい。大坂夏の陣が50年も前のことらしく、舞台は1665年ごろか。一方、オドは天正の地震を覚えており、天正のころ(1573~1592)が100年も前のこととされており、地震が1585年ごろ(1586年とする史料もネットにあり)として、100年後は1685年になる。間をとって1675年ごろか。
オドはサツマイモのほかジャガイモを栽培していたが、ジャガイモについて「このイモが世にでれば多くの百姓が助かるじゃろう。…………じゃが領主にしれれば年貢はもっときびしくなるかもしれん。じゃからこれはあくまで秘密にしておかなければならんのじゃ。」と源之進に言い、「おわかりかの。新しい良いものが作られたり発見されたりしても、世の中のしくみがくるっていると、それがかえって逆の作用をするときがあるのじゃ」と付け加えていた。

 

この話でもイシミツを探す忍者が出現していた。この忍者は兵助と名乗り、源之進より前にオドの村に来て、農作業や柴刈りなどをして働いていた。農作業の合間に、オドは源之進と兵助に蜂蜜を飲ませていた。
オドは地震を予知し、村民に避難を命じた。この混乱に乗じて源之進はジャガイモを持ち出そうとする。しかし兵助は源之進が持ち出そうとしたジャガタライモをイシミツと疑い、源之進を襲う。両者が戦っている最中にオドの予言どおり、地震が起きた。ネットで江戸時代に地震の起きた年を調べると、1677年に房総半島沖で地震があったらしい。
両者は気を失ったらしく、オドの村に担ぎ込まれて目が覚めた。

 

「第四話下・無限流の巻」で源之進は再びジャガイモを持ち出そうとした。兵助はイシミツを奪おうとして再び源之進を襲い、源之進は剣術で手裏剣を打ち返したが、崖から転落。そこにオドが駆け付けた。兵助はオドをも手裏剣で攻撃したが、オドは忍法の使い手で、兵助は返り討ちに遭う。兵助はオドからイシミツが蜂蜜(>薬用)のことで、村で何度も飲まされていたことを聴かされ、息絶える。
オドは「なんのために長生きをするのかわからんやつらに不老長寿のクスリをのませてもえきないこと……。」と語った。これは平安時代に同じくイシミツを探していた犬麿を倒した藤原千方が言った「ただ、なすこともなく生きながらえるなどくだらぬ」と似ている。

 

サツマイモ(薩摩芋)=甘藷(かんしょ)を日本で普及させたのは徳川吉宗(1684~1751)と青木昆陽(1698~1769)だったが、ジャガイモ=馬鈴薯(ばれいしょ)が日本で注目されだしたのは天保の飢饉のころからだったらしい。

 

 

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2009年3/18(Y!Blog)
平成21年3月18日18:51前後〕(AmebaBlog)

 

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2021/4/14  13:45