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応仁の乱川中島、信長の時代、本能寺秀吉の時代関ヶ原


戦国時代の「不老長寿の薬」探し
 白土三の『栬𨊂𠎁潢(いしみつ)』の「第三話・四本指の巻」では、戦国時代にはイシミツを狙う忍者2名・半助と四郎が出現。百姓の一人・茂助がこれを飲んでしまい、忍者2名はこの百姓がどこまで生きるか見届けようと護衛を始める。茂助はこの忍者の一人によって右手の小指を切り落とされていた。だが、茂助は一揆の首謀者として忍者2名とともに処刑された。不老長寿の薬も戦国の乱世では役に立たない。「400年ほど昔」とあるから、作品が出た1963年からさかのぼって、1563年前後であろう。

 また、同じ作者の『赤目』によると、永禄年間(1558~1570)、百姓たちは兎の肉を常食としており、残虐非道な領主のもとで多くの百姓が殺され、苦しんでいた。そして、その被害者だった百姓の一人・松造が僧侶となって、兔を「赤目さま」として崇拝する宗教を布教。兔が異常に繁殖し、兔を食う山猫も増加。増えすぎた兔が減って山猫が人間を襲うようになり、領主は山猫狩りのために百姓たちに銃を与えた。その結果、松造を長とする百姓たちは銃を武器に一揆を起こし、非道な領主を倒したらしい。

 「兔追いし」を「兔美味(おい)しい」と聴き取った例は多いが、日本では兔を食べる風習もあったらしい。2008年3月には千葉県で野兎(のうさぎ)を食べて野兔(やと)病にかかった人がいた。これでもわずか9年ぶりの例だという。「赤目さまのたたり」とはこの病気のことか。

「民意」の恐怖
 『忍者武芸帳』では影丸という忍者が百姓一揆を支援していた。影丸にはくされ、しびれ、岩魚(いわな)、蔵六(ぞうろく←*ざう~)、三つ(三つ子)の7人が影武者となっていた。岩魚の家族の一人が人食いの濡れ衣を着せられて殺され、村人は報復を恐れて家族全員の殺害を決定。一人生き残ったのが岩魚であった。『忍者武芸帳』についていた解説書で、誰かが「岩魚の話は『大衆は常に正しい』という左翼思想に致命的な打撃を与える」という評論をしていたと想う。「左翼」「右翼」は単なることばで、実態はないが、確かに一時的な「民意」「輿論」を絶対化するのは大きな誤りをもたらす。
のちに20世紀半ばになって、中岡元が「多数決」を痛烈に批判していた(『はだしのゲン』)。

『タイムボカン』第29話「枯木に花を咲かせるペッチャ」(2008年10月14日夜7時東京MX再放送)では丹平たちが2号機・ドタバッタンで16世紀後半の日本へ行った。この時点で3号機・グワガッタンも發明された。木江田博士が孫むすめ・淳子と一緒にテレビを観ていたら、計算と歴史に詳しい「天才」とされる犬・ポチが出ていた。博士はポチを拝借。時代と場所はポチが指定したもの。

花さかじいさんは安土城の近くの農村に住んでいた。
武士数名が「ここは織田信長樣の御領地だぞ」と言ってマージョたちを「怪しい南蛮人」と見なし、グロッキーや丹平たちもろとも投獄。ワルサーだけは川に落ちてその場にいなかった。

信長と思われる「殿様」が丹平たちとにマージョ&グロッキー「明日、枯木に花を咲かせろ」と命じた。できないと打ち首だという。
牢屋で一晩過ごした丹平たちは翌日、信長と家臣1名をドタバッタンに乗せ、タイムスリップで花を咲かせた。マージョと一緒の牢内で薬を作ったグロッキーは花を咲かせる薬のつもりが毛はえ薬を作ってしまい、処刑されそうになったところで、ワルサーが乗ってきたガイコツメカに入り、安土城を焼き拂おうとした。ガイコツに勝負を挑んだタイムボカンは、危機一髪でチョロ坊が悪玉トリオの爆弾を押し返し、いつもの結末。
安土城は1579年に落雷により本丸を焼失。1582年の本能寺の変のあとに焼失したとも言われる。

グロッキーが間違えて作った毛はえ薬は、正式に賣り出せば、いい商品になったはず。ドロンボーのインチキ商品より遥かにましだろう。

『センゴク天正記』は信長の時代を扱っている。2009年3月30日に出ていた掲載誌では長篠の戦いから3箇月のあたりだったようだ。

1578年に上杉謙信没す。NHK大河ドラマ『天地人』ではHPで再確認すると2009年3月1日の第9回で描かれた。
2009年4月12日放送の『天地人』は1579年が舞台(第15回「御館落城」)。

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2008年9/13