西順之助は『仕事人アヘン戦争へ行く』で1840~42年のアヘン戦争直後の香港を訪れており、同時期の『必殺仕事人IV』で20歳の誕生日を迎えている。江戸江戸時代の日本では数え年で計算するのが普通だったが、必殺シリーズによれば、江戸時代にも誕生日の概念があったようだ。強引に1840年で20歳前後と解釋すれば、順之助は1820年前後の生まれ。
『仕事人アヘン戦争へ行く』から『仕事人IV』の舞台を1842年とすると、この年に満20歳なら1822年生まれ、数え年20歳なら1823年生まれで、徳川家定より1歳年上だ。
『仕事人アヘン戦争へ行く』から『仕事人IV』の舞台を1842年とすると、この年に満20歳なら1822年生まれ、数え年20歳なら1823年生まれで、徳川家定より1歳年上だ。
順之助は『仕事人V』にも登場したようだが、この物語は1843年または1844年の天保時代から始まる。これはアヘン戦争終結の1~2年後だから計算が合う。しかし、『仕事人V』の映画版『ブラウン館』は慶喜が将軍になった1866年が舞台で、この順之助は1866年で20代はじめとすれば1840年代初めの生まれで、アヘン戦争直後の順之助より20歳ほど年下になる。1847年にはエジソン(1847~1931)が生まれている。
西順之助が「事故死」したのは『必殺仕事人V・旋風編』のころだが、『旋風編』も時代設定が曖昧なので、時代を特定できない。『必殺忠臣蔵』の仕事人は『旋風編』のメンバーらしい。ここで順之助が登場していたら元禄時代の人物で、1680年前後の生まれ。徳川吉宗(1684~1751)と世代的に近い。『旋風編』では文政時代の1819年が舞台になったこともあり、順之助が英語の通譯を担当。この順之助は1800年前後の生まれで、アヘン戦争直後の順之助より20歳ほど年上になり、幕末の順之助と比べると親子ほども年齢が離れている。
また、文政時代の順之助は天保の中村主水と同世代であり、天保の順之助は幕末の中村主水と同世代である。
中村主水が元禄、文化・文政、天保、幕末の各時代に渡って複数存在したなら、鍛冶屋の政や組紐やの竜や順之助といった仲間たちも、みな、それぞれの時代に複数存在したと考えるのが妥当であろう。
【元禄】
1680年ごろ 誕生?
1700年ごろ 『必殺忠臣蔵』に登場(『旋風編』のメンバー)。
└→その後爆死か?
1680年ごろ 誕生?
1700年ごろ 『必殺忠臣蔵』に登場(『旋風編』のメンバー)。
└→その後爆死か?
【文政】
1790年代 誕生?
1819年 歯医者をしていたとき、主水が助けたオランダ人女性と遭遇(『旋風編』)。
└→その後爆死か?
1790年代 誕生?
1819年 歯医者をしていたとき、主水が助けたオランダ人女性と遭遇(『旋風編』)。
└→その後爆死か?
【天保】
1820年ごろ 誕生?
1842年ごろ 受験生時代、アヘン戦争直後の香港へ(『仕事人IV』のメンバー)。
1843~1844年ごろ 組紐屋の竜、花屋の政と組む(『仕事人V』)。
江戸時代では年齢は数え年が普通だが、必殺シリーズで順之助が20歳の誕生日を迎える話がある。
もし、順之助が1842年の誕生日で満20歳であれば、1822年生まれである。
1820年ごろ 誕生?
1842年ごろ 受験生時代、アヘン戦争直後の香港へ(『仕事人IV』のメンバー)。
1843~1844年ごろ 組紐屋の竜、花屋の政と組む(『仕事人V』)。
江戸時代では年齢は数え年が普通だが、必殺シリーズで順之助が20歳の誕生日を迎える話がある。
もし、順之助が1842年の誕生日で満20歳であれば、1822年生まれである。
【幕末】
1840年代半ば 誕生?
1866年 『ブラウン館』に登場。
1840年代半ば 誕生?
1866年 『ブラウン館』に登場。