『必殺仕事人V・旋風編』で主水は銀平に「8年前、虎が江戸の裏稼業の元締だった」という趣旨の話をしていた。

 

 

クロねこHPの『仕事人V・旋風編』にあるように、『旋風編』の時代設定の一つは1819年。
すると、虎が江戸の仕置人を仕切っていたのは1811年ということになる。

 

 

 

クロねこHPでは「主水バースになる」で死去した将軍を家治としているが、『風雲竜虎編』(クロねこ資料)で1841年に死んだ家斉とも解釋できる。もっとも家斉は将軍職を家慶に譲って4年後に没したので、主水がバースになったときの将軍は家慶か。そうなると1853年で黒船来航直後になり、1819年から34年後のことになる。
家治没は1786年で1819年から33年前なので前後同じくらいの幅が出てくる。この場合、天明~寛政の主水、文化~文政(文化・文政時代)の主水、天保~嘉永の主水の3種類を別々に解釋すれば矛盾は生じない。
ただ、天保~嘉永の主水の場合、将軍没年は1841年の大御所・家斉没年か1853年の家慶没年の2回になり、家斉は厳密には「前将軍」の身分で高い。天保~嘉永野主水は1851年に水野忠邦を暗殺したあと、小屋ごと爆死しており、家慶の没年である1853年は『仕留人』の主水が活動を開始した時期である。だから主水がバースになった時期は、1841年と1853年のいずれとも考えにくい。
だから幕末の主水が「主水バースになる」に登場したとすると家定没年の1858年か、家茂没年の1866年になる。
なお、江戸時代に将軍が在職中に他界した例は、ほかに家光、家綱、綱吉、家宣、家継がいる。家重は将軍を家治に譲った翌年に没した。
このうち、家継は没した当時、数え年わずか8歳だったので候補から除外。該当するのは家光没年1651年、家綱1580年、綱吉1709年、家宣1712年となる。『必殺忠臣蔵』の舞台に近いのが1709年と1712年である。

 

 

 

『必殺!主水死す』allcinema)では、主水はお千代と20年ぶりに再会した。千代は20年前に記憶を失っていたらしい。
これについては、Wiki必殺!主水死す>あらすじ時代劇感想文集必殺!主水死すを参照。
すると『主水死す』で葛飾北斎水野忠邦の死去が描かれているから、主水と千代の再会は1850年前後。
すると作中で言われた「20年前」は1830年前後。主水が1828年から1829年にかけてのシーボルト事件に関わる仕事をし、1832年に山田朝右衛門が鼠小僧を処刑、1835年に主水たち『激闘編』(クロねこHP)メンバーがいた江戸の夜空にハレー彗星のが飛んだ時期の少し前。

 

 

 

また、『オール江戸警察』では主水は南町奉行所の最古参である。鳥居が主水に「中村君はこの奉行所に何年勤めているか」と訊く場面がある。確か、主水は「23年」と答えていたと想うが、鳥居が南町奉行だった1841~44年から23年前とすると、『江戸警察』の主水は1818~21年に南町奉行所に着任したことになる。
もっとも、『仕置屋稼業』では主水が北町から南町の同心に異動になり、そのときの南の奉行が新任の「甲斐様」。南町奉行では甲斐庄飛騨守正親鳥居甲斐守忠耀、朝比奈甲斐守昌広がいる。
また、『横浜異人屋敷』では1863年の時点で主水が南町奉行所勤続22年なので、その場合、鳥居が奉行になった1841年に主水が南町奉行所に異動してきたことになる。
└→中村主水が語った「過去」を歴史にあてはめた年表

 

 

 

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2008年10/4前後