教育に関しての非常に勝手な考察 -2ページ目

頭がいい と ノートがきれい の関係

最近、きれいなノートを取ることと頭のよさの関連が話題になっているが、それについて考察をしてみる。


まず、ノートを何のために取るのか考えると、ノートを取るということ自体が目的ではない。
 ①理解しやすくするための整理
 ②忘れない、あるいは思い出すための備忘録
 ③字をきれいに書いたり、計算を速く正確にするための練習
 ④自分以外の人に何かを説明するための資料
等のためにノートを取っている。したがって、他のよりよい手段で目的が達成できるならノートを取る必要はなく、ましてきれいにする必要はない。


 ①理解しやすくするための整理
自分で書くことで、頭の中が整理され、理解できるということはある。しかし、必ずしもきれいに書く必要はない。
また、見やすく整理されているという意味では、教科書や参考書、ホームページ等の方がきれいだし、自分で整理するにしてもパソコン打ちの方がきれいになる。
したがって、理解を助ける整理のために、きれいにノートを書く必要はない。

 ②忘れない、あるいは思い出すための備忘録
自分で書くことで、記憶できるということはある。しかし、必ずしもきれいに書く必要はない。むしろ、書かずに覚えられる部分は書かないし、一度で覚えられない部分は二度以上書くことになるはずで、整理されずに汚くなるはずである。

 ③字をきれいに書いたり、計算を速く正確にするための練習
これも、必要な部分だけを書くため、整理されずに汚くなるはずである。

 ④自分以外の人に何かを説明するための資料
これは、相手にわかりやすくするため、きれいに書く必要がある。しかし、相手に何かを説明することが、自分が何かを理解したり記憶したりに直接役立つ訳ではない。(役立つこともあるが。)


つまり、頭がよくなる(勉強をする)ために必ずしもノートをきれいにとる必要はないと思う。逆に不必要なことに時間を割いている可能性もある。


しかし一方で、ノートをきれいに書けるということは、それだけ頭の中で知識が整理され、わかりやすく理解できているということである。(誰かの書いたものをきれいに丸写しできるという場合は、この限りでない。)


したがって、頭がいい なら ノートがきれい かどうかはわからないが、
ノートがきれい なら 頭がいい ということは言えるかもしれない。

大麻問題に思う

最近、大麻の吸引、特に大学生によるものが多く、社会問題となっている。これに絡めて、禁止すべきことへのアプローチを考察してみる。

大学の教育責任という形で、大学の謝罪が報道されているが、当事者が大学生ともなると、もはや大学の責任とは思えない。「大麻を吸ってはいけません。」という教育で、吸う予定だった学生の何人が吸わなくなるのか効果は非常に疑わしい。


では、どうすればいいのか。

まず、なぜ禁止されているかをきっちり説明すべきである。
大麻の場合、合法の国があったり、タバコ等と比べても有害ではないと言われていたり、なぜ禁止されているのかがきっちり説明されていないように思う。
もし説明できないなら禁止そのものを考え直すべきである。

とは言ってもルールはルールである。また、禁止すべきことに必ずしも万人を納得させられるだけの説明を与えられるとは限らない。
一つのアプローチとして厳罰が考えられる。大麻の場合、よほどの場合でない限り、基本的に過失はない。ほとんどが故意であるため、厳罰が適していると考えられる。
教育に関しての非常に勝手な考察-飲酒運転統計
図に飲酒運転厳罰と死亡事故件数の関係を示す(警察庁の統計より)。厳罰化により死亡事故が減っているのがわかる。
但し、禁止すべき内容により、情状の余地や他の法律との秩序も考慮が必要である。(例えば、ひき逃げに対して飲酒運転の罰が厳し過ぎると、ひき逃げが増えると考えられ、より問題である。)

同様のアプローチとして報奨がある。大麻を吸わないことにより、何かが得られるというのも吸わないことのモチベーションとなる。

現状、非常に満足度の高い生活を送っていれば、大麻によりその生活を壊したくない。あるいは、大麻を吸わなければ、明るい未来が待っていると考えれば、大麻を吸う可能性は低くなるはずである。
そういった自浄作用が働くよう、通常の生活の質を高めることも重要なアプローチである。逆に言えば、大麻の蔓延は、通常の生活の質が落ちているからと言えるかもしれない。


一般的に禁止したい(させたい)ことに対して、どのようにアプローチすべきか、示唆に富んでいる。

授業中の質問

よく、授業中に「アメリカの学生は、もっと積極的に質問をする。君たちももっと積極的に参加しなさい」というようなことを言う先生がいる。しかし、私はこれが必ずしも生徒に問題があるとは考えない。

質問をしないということは、
 ①疑問を持つかどうか、
 ②その疑問を直接聞くかどうか、
という2つの問題に分けられる。


 ①疑問を持つかどうか
もし疑問を持たれていないのであれば、
 A疑問が浮かばない完全な説明を行っているのか、
 Bそもそも興味すら持たれていないつまらない授業か、
どちらかである。
Aであれば、先生にも生徒にも問題はない(疑問を持たせる意図で授業しているなら先生の問題である)し、Bであれば先生に問題があるのである。

 ②疑問を直接聞くかどうか
思った疑問を直接他人に聞くことが必ずしも最善であるとは思わない。他人に聞くのか、自分で調べるか、自分で解決するまで考え続けるのか、場合に依る。


だからといって、積極的に質問することが問題であるとも考えていない。疑問を解決しようという姿勢は重要であるし、その場で解決を求めて納得できるのであれば、それに越したことはない。
ただ、他人の意見を聞くことも重要であるが、それを自分で考えずに暗記だけするということは問題であると思う。


参考
得た情報の分類  http://ameblo.jp/kyoiku/entry-10149071926.html
得た情報の裏取り http://ameblo.jp/kyoiku/entry-10151963225.html