こんばんは!
今年も、早いものでもう半分が過ぎようとしております。
今年の初めに立てた目標が、まだ全然達成できていないことに、がっくり…orz
後半戦、がんばらなければ…(´□`。)
そして、6月といえば。
あのお祭りが始まるまで、あと2週間…!
今年は、神様をお迎えにいく「前祭」と、お見送りに行く「後祭」が、49年ぶりに復活する、
まさに、「祇園祭が帰ってきた!」年なのです!!
去年の10月にも書きましたが、 →京都祇園祭大船鉾復興展示
祇園祭の山鉾の一つ「大船鉾(おおふねほこ)」が、幕末の禁門の変で焼失して以来、
150年ぶりに復活する年でもあります。
祇園祭について、まだまだ知らないことだらけの私ですので、もっと勉強しなければ…
この「月刊京都」7月号の特集は、関係者の方々の、ここに至るまでの苦労話や今の想いが載っており、
とても興味が湧きました。
webでも買えますので、祇園祭や京都に興味のある方に、お勧めしたいです!
さて、遅くなりましたが、
「霊山歴史館友の会ツアー・幕末動乱の長州藩を巡る」の続きです。
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※修行中の身のため、間違いがたくさんあると思います。
気づかれましたら、ご指摘いただけたら嬉しいです。。
ツアーみどころ(2) 防府天満宮
毛利氏庭園を後にした私たちは、そのすぐ近くにあるこちらへと、向かいました。(バスで)
ぼやけてます…(T_T)
毛利氏庭園、そしてこの防府天満宮のある、山口県防府市は、
明治初期までは、「三田尻(みたじり)」と呼ばれる土地でした。
(毛利氏庭園さまhpより、お借りしました)
江戸時代初期、関ヶ原の戦いの敗者となった毛利家は、
これまでの本拠地であった安芸国(あきのくに)(今の広島県西部)を取り上げられました。
新しい本拠地として、①ここ周防国三田尻、②周防国山口、③長門国萩、の3つの土地にお城を建てることを幕府に申し出ましたが、
徳川家康公はそのうち③萩での築城のみを許し、毛利家を山陰に閉じ込めました。
しかし、三田尻といえば、天然の良港であり、ほおっておくには惜しい土地。
毛利家は、三田尻を、あえて参勤交代の通り道(海から参勤交代へ向かう出発点)として設定。
承応3年(1654年)、萩からここ三田尻を結ぶ「萩往還」という道を整備、そして「三田尻御茶屋」をつくるなど、
幕府に文句を言われないようにさりげなく(?)、三田尻の発展に尽くしてきたそうです。
(先生のお話、Wikipediaより)
時は流れ幕末になると、ここ三田尻は、勤王の志士たちが集まる場所となりました。
文久3年(1863年)には、三条実美氏らが長州へ逃れてきた際(七卿落ち)、「三田尻御茶屋」に滞在。
また元治元年、高杉晋作氏が功山寺で挙兵した際、下関の新地会所を占領した後、
ここ三田尻港の海軍局に攻め入り、軍艦を奪うなどしています。
そして、(前置きが長くなりましたが、)
ここ防府天満宮にも、幕末に関わる史跡が、たっくさん、ありました…!
それでなくとも、天神様の信仰が厚かった高杉晋作さんは、きっと何度も来られているはず…!
書きたいことがいっぱいです。
<防府天満宮>
日本最古の「天満宮」。
北野天満宮(京都市)、太宰府天満宮(太宰府市)と並んで、「日本三天神」と呼ばれている。
菅原道真公は、無実の罪で九州の太宰府に流された際、ここ防府に寄られ、
「酒垂山」にお登りになり、「身は筑紫にて果つるとも、魂魄(こんぱく)は必ずこの地に帰り来らん」と誓われた。
その後、太宰府で亡くなられた日、酒垂山に瑞雲(めでたいことの起こるきざしとして現れる雲)が現れたことから、
この地に道真公をお祀りした。
(「防府天満宮」hpより)
まず、一番最初の写真にある大きな鳥居をくぐると…
両側に、狛犬さまがお出迎えくださいます。
この狛犬さまは、ただの狛犬さまでは、ありませんでした…!!
文久2年(1862年)に寄贈されたというこちら、
萩の石工により誕生したので、お名前を、「萩狛犬」とおっしゃいます。(ドキッ)
ちなみに、北野天満宮にも、太宰府天満宮にも、いらっしゃるそうです。
北野天満宮にいらっしゃった狛犬さまといえば・・・
角のはえた、こちらの方が印象に残っておりますが、この子は… 萩狛犬…??
違うような気もします。。会いに行きたいです…!
ちなみに、北野天満宮にいらっしゃる萩狛犬については、こんな逸話が残っているとか・・・
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幕末の「禁門の変」で、長州藩が京を追われたのち、
会津藩が、北野天満宮に鳥居を奉納。
しかし、その鳥居の傍に、萩狛犬が奉納されているのを見つけた会津藩士が、
「長州獅子、汝まだ去らざるか!」と、神社に撤去を要求&倒そうとした。
そのとき、一天にわかにかき曇り、雷鳴が響き渡った。
会津藩士は、雷神である菅原道真公のたたりだと、恐れ逃げ帰った。
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(説明書きより)
うーん。狛犬にまで手を出すとは… 両藩の、当時の対立の深さを感じます。
力尽きましたので、続きは明日…