霊山登山(後篇) | 京一花日記帳

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続きです。
この日の、目的は・・・



こちらでございました。



伊藤春畝詩碑(いとうしゅんぽしひ)」です。
とてもとてもとても、大きな碑です。4m近くありそうです。

伊藤博文公爵は、号を「春畝(しゅんぽ)」さまとおっしゃいます。
号とは、本名以外につける、風雅な名のことです。

明治42年(1909年)、伊藤氏と井上馨氏は、木戸孝允(桂小五郎)氏の33回忌に参列するため、京都へ。
伊藤氏は、木戸氏のお墓参りの際、七言律詩を作ります。
それを、同席していた中井慈眼氏に見せたところ、中井氏が、「伊藤&井上」両氏の詩碑を、東山に建てることを提案。そして、実現したのだそうです。こちらは、伊藤氏のほうの詩碑です。

<中井慈眼 (1851-1932)>
三条東洞院で紙商を営んだ人物。府会議員・市会議員をつとめ、明治京都の実業界で重きをなした。
一方で、京都を観光都市として発展させるため、東山の開発に尽力した。


●表面(北面)・・・詩



(大意)
むかしを追憶すると感きわまってしまう
木戸公がなくなり三十三年もたったとは夢のようだ
木戸公の容姿は今でもはっきりと覚えている
公の名声と人気は歴史のなかで卓絶している
蕭何・曹参・房玄齢・杜如晦といった名臣など忠義の点で比べものにならない
諸葛孔明や楠正楠クラスにも匹敵する
木戸公の墓に詣で新緑の桜に公を悼む詩を書き付けると
あまりの悲哀にほととぎすが紅い血を吐くほど啼くのが聞こえる

●裏面(南面) ・・・建立の経緯



(大意)
中井慈眼翁は早くから京都の名勝名刹の保存に尽力し,その努力で大いに風致が増した。その功績は大きい。ことしの夏,松菊木戸孝允公の三十三回忌に伊藤公 が墓に詣で詩を作った。中井翁はその詩を石に刻んで東山に建て,東山の風致をよりいっそう増して,木戸公と伊藤公の業績をひとびとが敬慕できるようにした いと計画した。久邇宮邦彦王もこの計画に賛成し篆額をたまわった。中井翁は碑文を書いてほしいとわたし(三島毅)に依頼した。
 伊藤公は木戸公の三十三回忌から一年もたたないうちに満洲で暗殺された。まことに惜しむべきことである。しかし伊藤公は実に木戸公の遺業を継承しさらに 大きなものにした。後世の伊藤公をほめたたえることは,伊藤公が木戸公をほめたたえることにも勝るものであろう。表面に刻んだ詩は伊藤木戸両公をあわせて ほめたたえるものにほかならない。この碑を見た東山に遊ぶ者の中から発憤して両公の遺業を継承する者が出るかもしれない。だからこの碑は東山の風光を増す だけのものではないのである。

こちら のサイトより引用させていただきました)


…伊藤氏の、木戸氏への敬愛の念の深さと、その伊藤氏もまた、木戸氏と同等に讃えられるべき人物であったことが、よくわかります。

この、霊山の伊藤先生にお会いしたく、ここまで登ってきた私たちでした。伊藤先生、正しく導いてくださり、本当にありがとうございました。

そして、私たちは次に、この詩碑と姉妹的な意味をもつ、「井上馨氏の詩碑」を探すため、出発しました。
が…







どうしても、井上先生のところへはたどり着けず…遭難しかかりましたヽ(;´Д`)ノ
さすが、厳しくいらっしゃる…

なんとか、道を見つけ、下山すると、なんと、高台寺の墓地に出たのでした… (-_\)(/_-)三( ゚Д゚)



何とか無事に下山でき、本当によかったです・・・
みなさまも、どうか無理な史跡散策は、されないようにしてください…orz
井上先生の詩碑は、また次回、拝ませていただきたいです。

志士の方々が休まれている霊山に、今回お邪魔させていただき、大変失礼いたしました。本当にありがとうございました。

ちなみに…先生に教えていただいたのですが、この霊山には戦国時代、「東山霊山城」があったそうです。一年間だけ…?

~室町幕府13代将軍足利義輝によって天文21年(1552年)に築城が開始され、
翌22年(1553年)には陥落し、廃城となったと考えられる~ (Wikipediaより)


そして、その城址の一部が、伊藤氏詩碑の近くにあるのだとか…

その後、お昼は、先生にご紹介いただいたこちらのお店で、いただきました。



ちりめん山椒 やよい 本店



’冷製そうめんじゃこ・おじゃこおむすび’のセット、1,030円(税込)
「6月~8月末までの期間限定で、そうめんにおじゃこで作ったオイルソースを和え、夏野菜を添えたメニュー」
だそうです(ノ´▽`)ノ 赤いものは梅肉です。疲れた体に、よく効きました。

土曜日のお昼でも混んでおらず、とってもおいしくてリーズナブルでした!
穴場スポットかもしれません。お勧めです。

*今回のルート*



☆ のところが、「伊藤春畝詩碑」のあるあたりです(たぶん)

そして、午後からは、霊山歴史館の維新土曜トーク「三吉慎蔵日記を読む~慎蔵とその周辺の人々」に参加しました。
講師の方は、三吉氏のご子孫でいらっしゃる、歴史家・正井良治氏でした。
新しいことを、たくさん知ることができました…!日々、勉強ですね。

先生、このたびは、大変お世話になりました。本当に、ありがとうございました。
(お怪我はなかったでしょうか・・・)


*おまけ* 東山界隈
霊山歴史館は、月曜日が休館日です




ねねの道から



維新の道から



宮川町